記事感想 WIRED『経済学者・岩井克人、「23年後の貨幣論」を語る』
一時期,WiredのTwitterをフォローしていた時期があって,記事の積読が膨大になってしまっている。
気が向いたときに積読を読んでるのだが,かなり面白い記事があった。
これまで読んできた本を受けて,貨幣について関心を持つようになった。
『貨幣論』も気になってるんだよなぁ。
例えば,この辺の本をこれまで読んできた。↓
マルクス主義者として,資本主義エンジンがあらゆるものを商品化することを指摘し,疎外に対抗するために非貨幣経済の可能性を論じるハーヴェイ。
脱成長論者の代表格のラトゥーシュ。
〈脱成長〉は、世界を変えられるか――贈与・幸福・自律の新たな社会へ
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貨幣の起源を文化人類学の知見で問い直すグレーバー(未読)。
マクロ経済学の知見から「貨幣発行益」を原資にベーシックインカム導入をすべきと述べる井上智洋。
実践レベルも含めて新しい「豊かさ」の指標を模索する藻谷浩介。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
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和食を初期化する,ということで「一汁一菜で良い」を提唱する土井善春(もちろん,貨幣を論じた本ではないが,根本の思想には共通点がありそう)。
それはさておき,個人的に,記事中で一番面白いと思ったところはココ。
この部分を書き留めておくために,このブログを書いたと言える。
世の中の多くの部分は,利潤追求をする資本主義と,法のもとにつくられた国家システムで占められています。しかしそれらに組み込まれない領域がある──それが「市民社会」だと思うのです。(略)市民社会とは,社会がそれに向かって行く理想郷ではありません。いつかは資本主義や国家に吸収されるかもしれないけれど,新しい問題を解決するための「アドホック(臨時的)な実験場」として捉えてみるといいのではと考えています。その市民社会のフレームワークを考えるときに,信任論というのが役に立つと思っているんですね。そういうことを,いつか書き上げたいと思っています。
資本に対抗するとか,革命とかというと仰々しくて何となく敬遠してしまうが,これくらいの考え方なら,けっこう共有されやすいのかもしれない。改良主義だ,とか言われるかもしれないが。
●ついでにもう1つ。手前味噌だが,岩井氏の下記の言及は,昔,メディア・リテラシーについて自分がFacebookに書いたことと関連がありそう。
重要なことは,現在のような高度情報化社会では,人間は誰でもある分野では専門家として振る舞わざるをえないということです。その部分では,自分の利益を抑えて倫理的に振る舞わざるをえない。そして,実際に,多くの人がそう振る舞っているからこそ,われわれの生きている社会は成り立っているわけです。
自分は,昔こう書いた。
複数の情報源とか一次資料に当たるということが大事だと言われる。そんなことを言われるたびに自分は思う。「無理だろ」と。
そんなことをやっていたら,日が暮れるどころか,人間やめないといけない。
一人の人間がアクセスできる情報量には限りがあるし,専門知識がいることもあるだろう。
だからこそ,そういうことは,メディアや研究者などの「発信」を担う専門家の「作法」の問題だと割り切った方がいいのではないだろうか。
いや,さすがにそれでは狭すぎか。ただ,もう少し範囲を広げるとしても,仕事や研究など,【自身の生活に直接影響する範囲における必要な情報】の「扱い方」の問題と捉えるくらいがいいのではないだろうか。
言葉を替えれば,一般市民に求められるメディア・リテラシーとは,良質な情報を「受信」しようとする以上に,手に入る情報の有限性や不確実性を前提とした上で,間違った「振る舞い」をしないようにするという現実的かつ能動的な場面での戦略なのではないだろうか。
岩井氏が言う「倫理」と,自分が言う「作法」は,似ている気がする。
散々指摘されて手垢がつきまくった言及だが,SNS時代とは,非専門家が発信者となれることで,「倫理」の歯止めが利かなくなった時代なのだと思う。
途中まで読んでる今井照の『地方自治講義』に書いてあった「市民」像もこれに関連するものと考えられるかもしれない。今井氏曰く,都市化した社会では,あらゆる生活が制度や政治に影響を受ける,だから,市民は政策の当事者として,公的な存在なのである,と。
●さて,集合知的なものへの期待を寄せている「運動」の理論家(?)はいる。マルチチュードへの期待が強いネグリ=ハートはもちろん,たしか『負債論』のグレーバーも”We are the 99%”,”Occupy Wall Street”運動の理論的当事者だった。恩師のI先生も,その系譜にあると言えるだろうか。
だが,集団がかえって残虐になる,という指摘もある。難しい問題。
これもWiredだが,興味深い記事。