幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

『福岡市を経営する』の感想 -「51対49」を巡る2人の政治家の意見

●『福岡市を経営する』を先日読んだが,立場上,感想はオープンには書きにくい。そこで,匿名のブログにて感想を書いてみたいと思う。
 なお,今回の感想は,全体を通してというより,とある1つのフレーズについてのものだ。

福岡市を経営する

福岡市を経営する

  • 作者:高島 宗一郎
  • 発売日: 2018/12/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

●本題に入る前に,全体としての感想をちょっと書いておく。この本や高島市長について,全体としては,評価はしあぐねているというのが正直なところだ。

 

・まず,これまでいわゆる市長案件に携わったことがほとんどない。以前の部署では,市長案件どころか,副市長案件,局長案件も無く,部長案件が数えるほどだった。今の部署では市長レクも経験したが,実際は,副市長までの議論で,ある程度整った状態に,市長からGOをもらうという程度の関わりだった。

ということで,自分は,市の職員としてというよりも,イチ市民として市長を評価することしかできない。

 

・では,市民として,市長をどう評価するか。できるか。
これが,非常に難しい。シティプロモーションや広報については,正直,抜群の感覚だろうと思う。それは,素直に高評価され得るものだろうと感じている。ほかに高島市長を象徴する政策といえば,スタートアップ関係,天神ビッグバン,宿泊税,ロープウェイあたりなのだろうが,一つ一つの政策について是非を評価するほど詳しくない。

ただ,根本的な問題として,市のあらゆる事業,意思決定のどこまでが果たして「市長案件」なのかが,外(市民)からは分かりづらいのだ。市長案件にも,a)市長からのトップダウン型と,b)最終的な決裁やレクでGOをもらう段で初めて市長に説明するボトムアップ型とがあるだろう。また,そもそも,c)副市長以下で意思決定が全て行われることもある。というか,c)が役所の仕事の大半だ。

・『福岡市を経営する』の内容については,全体としては,強い異論はない。むしろ「せやな」と思う部分は少なからずあった(もちろん,自著なので,良いことばかり書くものなのだろうが)。

そもそも,得てして「総論賛成・各論反対」になるのがこの手の政策論の話なのだと思うが,この本自体の多くの部分が総論で,書かれている各論も良い話が多いので,そりゃ反対の意見も持ちようがないのかもしれないが。

・つまり,そもそも論として,高島市長がどうこうというより「首長をどのように評価するのか」ということ自体が,べらぼうに難しいことなのだと思う。

 

●前置きが長くなったが,今回,もっとも語りたいのは,第3章「決断ースピードと伝え方が鍵。有事で学んだリーダーシップ」のp.57、

 

「51対49」というのが、もっともよい勝ち方です。 

 という部分だ。

 

第3章は,意思決定についての持論が書いてある章だ。
そこでは,素早い決断の必要性が強調されていて,それは,たしかにとても正しい。

しかし,気になる部分があった。

少し整理すると,この記述があったのは,下記のような文脈だ。

・リーダーとしての判断が間違っていたら、市民には「落選させる権利」があります。だからこそ、首長には「決める権利」があるのです。(p.78~) 

 

・決断をしないことがいちばんの罪。~やみくもに支援を求め、仲間の数を増やしていくのではなく、政治信念や政策の方向性を同じくする「同士」をひとりでも多く増やすことが重要です。その意味においては、「51対49」というのが、もっともよい勝ち方です。(p.96~97)

 

●この「51対49」という部分に気になったのは,この本を読む少し前に観た『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画で,まさに「51対49」というセリフを聞いたからだ。

www.nazekimi.com


この映画は,小川淳也衆議院議員に密着したドキュメンタリーなのだが,劇中,彼は,まさに「51対49」という全く同じ言葉遣いをしながら,全然違う趣旨のことを言っていた。

何事もゼロか100じゃないんですよ。何事も51対49。でも出てきた結論は、ゼロか100に見えるんですよ。51対49で決まってることが。政治っていうのは、勝った51がどれだけ残りの49を背負うかなんです。でも勝った51が勝った51のために政治をしてるんですよ、いま

(該当部分は,監督のインタビュー記事にも載っている)

webronza.asahi.com

 

・小川代議士の「勝った51が勝った51のために政治をしてる」という意見を聞いたとき,読んだ2つの本を思いだしていた。

まずは,
清水真人著『平成デモクラシー史』。

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

 

本書によれば,平成の政治改革は,官僚政治やそれと結びついた派閥・族議員による政治を脱し,首相のリーダーシップを強め,政治(首相・官邸)主導を目指しそうとしたものだった。具体的なものとしては,中選挙区制の廃止,小選挙区制の導入だ。これにより,自民党内の派閥争いや,いわゆる「族議員」の存在感は減じることになったが,その分,死票が増え,当選者による「勝者総取り」の構図が産まれることになった。

 

政権選択選挙」を勝ちきった首相が、その民主的正統性を背景に強いリーダーシップを発揮するのが時代の要請ともいえるし、「平成デモクラシー」の本質です。衆院選で勝つことこそ、権力の源泉ではあります。

https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/4989

 

そして,今の自民党(というか安倍政権)は,その方向に過剰適用してしまっている,と。
かつて,自民党内にはハト派タカ派や○族と言われる多様性があったが,それが昨今失われている,と指摘する論者は多い。

また『行政学講義』では,公務員は「市民全体の奉仕者」たるべき存在だが、戦前との連続性、「勝者総取り」となる選挙制度、長らく続いた「自民党一強」体制といった様々な点から、実際には一党派的偏向があると指摘する。そして,最近は,官邸による人事権の掌握など,その偏向を強める動きがあるという。日本では,いわゆる猟官制を制度的に採用していない。タテマエとしての中立性の裏で,ホンネとしての党派的偏向が進んでいる,という状況だ。
(この本は,議員内閣制のうえで与党議員が大臣=トップとなる国家行政を主な射程にしていて,地方行政の場合は違った観点もあるだろうが,それでも共通する部分はあるだろう) 

これらの本の内容を踏まえると「勝った51が勝った51のために政治をしてる」という小川代議士のセリフは,近時の日本政治の問題点を鋭く見抜いた言葉なのではないか,と思う。

 

・決断を誤ること以上に,決断をしないことが問題となることも確かにあるだろう。
しかし,小川代議士の言い方と比べると,高島市長の「自分は選挙で選ばれた。その決断がイヤなら,選挙で自分をオトせばいい。」という言い方には,やや強権的な印象を持ってしまう。そもそも,代表制民主主義では,白紙委任はあり得ない。

また,決断をすること自体は良いとして,その「正しさ」の評価・審査は,やはり別途必要だ。
高島市長自身が本にも書いているが、議論の見える化や事後の検証のための記録等が必要だ。子ども病院の例が挙げてあったが,他の分野ではきちんと情報公開がされているのだろうか。国では,コロナの対応に関して,議事録が残されていないと報じられていたが,福岡市はどうだろうか。きちんと精査出来ていないが,報道等で,きちんと検証されるべきと思う。

●ただ,色々と書いてきたが,高島市長のスタンスを必ずしも間違っているとは言い切れず,むしろ「首長」としては,それが正しいスタンスなのかもしれない,いう気持ちも強くある(というか,書きながらそう思い始めた)。

高島市長,小川代議士,それぞれの政治家の意見は,必ずしも,どっちが正しい,と白黒ハッキリ付けられる話ではない。
そもそも,合議制のイチ構成員,しかも野党で現実的に「決定権」を持たない議員と,決定権を持ち,行政組織を現に動かしていかねばらならない独任制の首長とでは,必要な役割や望ましいスタンスも異なり得るのだろう。

 

●以前,福岡市職員(元・財政調整課長)である今村氏の本『財政が厳しいってどういうこと?』の書評として,自分はこういうことを書いた。

 

自治体の“台所"事情 財政が厳しい"ってどういうこと?

自治体の“台所"事情 財政が厳しい"ってどういうこと?

  • 作者:今村 寛
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

髙島市長は、直接仕事で絡んだことは無いのだが、インタビュー記事を読んだりする限りでは、決断のスピードや強力なリーダーシップが「ウリ」の1つと思っていいだろうし、そのように市内外から評価されているように思う。著書はいずれ読む。
そういうリーダーをトップに持つ現役の市職員が、「対話」の重要性を説いていることは、バランスを取る意味で良いのかもしれないな、とも思った。
リーダーシップやトップダウンだけでは、空回りする。外面が良くても、仮に実態が伴わっていなければ意味が無い。そもそも、首長は有権者から白紙委任を受けている訳ではないし、健全な民主主義の為には、スピードだけでなく熟議や事後の検証が必要だ。ゆえに、首長を下支えする土台として、「補助機関」たる職員は議論(対話)や根拠、プロセスを積み上げていかねばならない。(首長自身がそういったことを蔑ろにしていい訳ではないが、人間である以上、1人で出来ることは物理的に限られる)。

 

このレビューは市長の本を読む前に書いたものだが,我ながら,良いことを書いているな,自分 笑。

 

『福岡市を経営する』を「これからの時代を創る仲間」向けの自己啓発本として読むのではなく,職員として読むのなら,市長に過度に共感し,同化してはいけないのだと考える。

高島市長が「51」を見極めるのならば,「補助機関」たる我々,行政職員こそが「49」を含む全体を眼差し,それらを取りこぼさないよう「全体の奉仕者」として振る舞わなければいけないのだろう。この本は,市長の役割と職員の役割をきちんと理解したうえで,いわば抑制的に読まなければいけない本だ。