幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

SDGsの環境問題偏重について

2021年末の紅白でSDGsが取り上げられたが、やはりそのテーマは環境問題だった。

 

紅白に限らず、SDGsには色んな要素がある中、環境だけがここまでメディアや行政などで取り上げられるのって「政治色」が見えないからなんだろうなぁ、と思う。


環境という非人間「みんな」という人間の二者の問題であるかのように描くのであれば、「カド」が立つことを恐れずに触れることができる。

 

その点、例えばジェンダーや貧困といった問題群は、抑圧者(人間)非抑圧者(人間)という構図を避けずに描くことは困難だ。取り上げるに際には政治色が出ざるを得ない。

 

加えて、大手メディアや行政などの「権力」サイドは、このような問題群に対して「抑圧者」サイドであったり、問題群の存在自体に責任を問われるべき立場にあったりすることが多い。必然、「権力」サイドは、これらの問題群に言及しづらい立場にある。

 

例えば、与党政治家が「貧困が問題だ」と述べたとしたら「それはお前らの責任だろう。」、「何とかしろ」と突き上げを喰らうのは目に見えている。
その点、環境問題は「みんなの問題」という描き方で、権力サイドの責任を曖昧にしたまま言及することができる。

 

しかし、当然、環境問題が「政治色」が無い課題かというと、決してそうではない。
被害の側にも加害の側にも、具体的な人間がいる。
例えば、ツバルのような国は被害の側。環境負荷をかけながら経済的利益を追求する多国籍企業やそれらと結託する政治家は加害の側。

 

こう考えていくと「日本においてはSDGsについて環境問題ばかりが取り上げられる」というよりは「日本においては政治色が出にくい問題ばかりが取り上げられる(結果として環境問題が取り上げられやすい)」というのが正確なのかもしれない