幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

『負債論』第9章 枢軸時代(前800〜後600年)要約

この時代には硬貨鋳造の開始、そして金属塊への全般的転換がみられる。(p.324)

 

●軍事=鋳貨=奴隷制複合体
度重なる債務危機を軍事的拡大を通じて解決しようとする試みが、「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」とも呼ぶべき制度としてあらわれた。鋳貨は、債務危機の原因ではなく、危機の解決に用いられたのである。帝国全体が、貴金属の取得、硬貨鋳造、軍隊への配分を実施する巨大機械ともみなせる。
・例えば、アレクサンドロス大帝は、兵士たちへの金銭支払いのために借金をしたが、その支払い・貨幣体制の維持のために、略奪した貴金属から硬貨を鋳造した。硬貨の原料の採掘は戦争捕虜が担った。そして、アレクサンドロスは、信用システムの基盤であるバビロン等の神殿の金銀を脱宝物化し、税金の支払いを貨幣にて行うべきと指令したことで、古代の信用制度を一掃した。
(ただし、鉱山も軍事行動もない地域では、旧来の信用制度が運用され続けていた。また、軍事的拡大による債務危機の解決の効果は一時的でしかなかったし、軍事力の無い都市では、債務危機はたびたび再燃した。)
・インドでも、中国でも、硬貨と市場の登場は、なによりもまず戦争機構をまかなうことを目的としていた。
・つまり、この時代、戦争が一般化し、貴重品としての金銀銅が略奪され、それらが富者や神殿以外のふつうの人々に流通されることになった。戦争自体は枢軸時代以前にもあったが、特異な点は、訓練を受けた職業軍人の隆盛だ。諸国家が彼らを管理下に置く際、報酬として、家畜や約束手形ではなく、貨幣を必要としたのである。

 

唯物論1 利潤の追求
この枢軸時代においては、鋳貨や商品市場と、ピタゴラス孔子ブッダといった普遍的世界宗教や主要な哲学的潮流という相補的な理念の出現がみられたが、これはどういうことか。
・人間経済においては、諸々の動機は複合的であり、借用証書の価値は、額面だけではなく、その人物の性格や愛や妬み、自尊心などの動機が考慮された。他方、見知らぬ者たちのあいだの現金取引、とりわけ戦争や兵士に関する場合は、継続的な人格的関係には関心が払われず、動機が根本的に単純化される
この動機の根本的な単純化が、利益や優位性という概念の下地になり、人間の生を手段と
目的の計算の問題に還元できるかのように思わせてしまう。このような利益や優位性を軸にした思想として、中国の法家や、インドのカウティリヤ等があらわれた。
・これらに対抗する思想もあらわれた(例えば墨家、同家、儒家)が、これらは市場の論理を反転させた同一物に過ぎず、利己vs利他、利潤vs慈愛、唯物vs唯心、計算vs自発性 といった二項対立に捕縛されている。

 

唯物論2 実体
ギリシャのミレトスは、硬貨による市場取引が世界で初めて行われるようになった都市だが、まさにここで、タレスアナクシメネス、アナクシマンドリスという三人の哲学者があらわれた。彼らは、世界の根源である物質的実体(それぞれ、水・空気・アペイロン)の本質に関する思索を行なったことで有名。彼らに共通する発想は、無限である個別の物体や実体、つまりあらゆるものに変容しうる何か、というものであり、それはまさに貨幣が備えている性質だった。
枢軸時代の軍事=鋳貨=奴隷制複合体の出現する場所では、「聖なる諸力ではなく物質的諸力から世界は形成され、人間存在の最終目的は物質的富の蓄積である」という意味での唯物論的な哲学が登場した。
・どこにおいても、こうした事態に対抗しようとする哲学者や民衆、宗教が生まれた。
・統治者の姿勢は時と共に変化し、軍事=鋳貨=奴隷制複合体が危機を迎えるにつれ、キリスト教や仏教、儒教は統治に採用されるようになった。帝国が崩壊後も、それらは存続し、根をおろした。
・その最終的効果は、かたや市場、かたや宗教、という人間の活動領域の一種の観念的分断であって、それは今日までつづいている。純粋な貪欲と純粋な寛大とは相補的な概念で、どちらも他方抜きでは想像することすらできない。