SOGIとは? 普通の人/普通ではないLGBT という二分論を考え直す
以前、SOGIについて、ノーマライゼーションやユニバーサルデザインと絡めながら記事を書いたことがある。 ghost-dog.hatenablog.com
今回の記事は、これをベースに改めてブラッシュアップしたものなので、せっかくなので、今回の記事の方を読んでもらいたい。
なお、実は今回の記事を書いたのは約1年前で、もとは、役所内の掲示板に投稿したもの。
せっかく頑張って書いたので、このブログにも残しておこうと思い、今回記事にしている。
以下、本題。
(掲示板向けに、Part0~9までの連載にしているが、今回記事ではまとめて)
【 Part 0】
ほとんどの方,初めまして。
LGBTという言葉は,最近ある意味「ブーム」になっていますし,特に市職員であれば人権研修等の機会もありますので,「知っている」,「なんとなくは分かってきた」という方も多いでしょう。
しかし,SOGI(ソギ,ソジ)という言葉はいかがでしょうか。
この言葉は人権研修の解説にも載っている一方,LGBTほどはまだ浸透していないように思いますが,SOGIというのは非常に重要な言葉だと私は考えています。
そこで,今回から何回かに分けて,性的マイノリティに関すること,特に,SOGIという言葉について,まことに勝手ながら解説っぽいことを書きたいと思います。
今回は前置きで,次回からPart1を始めたいと思います(全部で,Part9まで続ける予定です。1日に2Part投稿します)。
なお,誤解のないようにお断りしておきますが,私の投稿は人権推進課とは一切関係がないもので,あくまで個人的な私見です。当然,市の考えを代表するものではありませんので,その点ご留意ください。
(ただし,実は,私は幸いにも,ジェンダーやセクシャリティ等について大学時代に学ぶ機会を得て,それ以来このテーマについては強い関心を持ってきたので,思うところはそれなりに多くあります。)
※私自身もまだ勉強中の身であり,誤った点や不適切な表記等があるかもしれません。何卒ご容赦頂き,お気づきの点がございましたらご指摘ください。宜しくお願い致します。
【 Part 1】
前回はただのご挨拶だったので,今回から,LGBTとSOGIについて語っていきます。
今回は,SOGIという言葉の説明の前に,LGBTという言葉が必要だった背景について確認します。
今回押さえたい重要な点は,かつて性的マイノリティは「いないことにされた」人たちだった,ということです。
例えば「人間は思春期になると必ず異性に恋をする」とか,「人間は男性と女性のどちらかに必ず分けられる」とかという具合です。(保健体育の教科書のこういう記述に傷ついたという当事者の声は多いです)
「いないことにされた」人たちは,「普通」ではない,すなわち「異常」とされ,差別されてきました。ときには,嘲笑だけではなく,矯正,治療,隔離,攻撃,迫害という文字通りの暴力にも晒されてきました※1。現在でも,同性愛が法律で禁止され,むち打ちや死刑にされる国もまだあります。
(なお,同性愛者の自殺率が高いというデータの一方,同性婚が法制化された国では同性愛者の自殺率が下がった,という統計データもあるようです。そういう意味で,性的マイノリティの問題は,リアルに「命」に直結する重大な人権問題だと言えます。)
そんな状況の中,当事者の多くは,自身のことを隠して生きることを選んできました。
しかし,当事者たちは,次第に「カミングアウト」をして,自らの真の姿を解放する生き方を模索してきました。
つまり,LGBTという言葉は,当事者たちが「いないことにするな」,「あなたたちとは違う自分たちがここに確かに存在している」と示すために産まれた,と言えます。
このような歴史,文脈の中では「自分は他と違う」ということを示すためのLGBTという言葉は有効だし,不可欠なものだったのでしょう。
しかし,このLGBTという言葉には,2つのデメリットがあります。
※1 牧村朝子著『僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断 法」クロニクル』などに詳しいです。
【 Part 2】
Part1では,いないことにされた当事者たちが「自分は他と違う」ということを示すために,LGBTという言葉にたどり着いた,ということを確認しました。
今回は,このLGBTという言葉のデメリットの1つ目について述べます。
デメリットの1つは,LGBTという言葉は,この4つの括りに入らない「カテゴリー」のマイノリティの存在を取りこぼしてしまうということです。
LGBTの他に,QとかAとかIとか様々な言葉があり,きっとこれらは今後どんどん増えていくでしょう。そもそも,LGBTという言葉に複数形の「s」をつけてLGBTsと表記する場合もあります。人権研修の解説にも載っているので,それぞれをここで説明はいたしませんが,少なくとも,LGBTという4つの「カテゴリー」では,全ての人をカバーすることは不可能なことは事実です。
こぼれてしまう人たちがいるという事態は,「障がい者」というカテゴリーでは,最近話題になっている発達障害の方を必ずしもカバーしきれないことに似ています。
では,そういう言葉を全て並べて覚えればいいのかというと,そうではないと思います。
理由は3つあります。
①人の性に関わるバリエーションは,それこそ無限にあり,言葉では表しきれないこと
②「性」に関わることはプライバシーの領域で,オープンになっていないことが多いこと
当然ですが,その人の性的な「カテゴリー」は,見たり喋ったりして分かるものではありません。
つまり「性的マイノリティの方がその場にいるかどうかを確認したうえで,差別にならないよう対応する」のでは不十分で,「その場に性的マイノリティの方がいるかもしれないという前提の上で,差別にならないよう対応する」ということが必要なのです。
③性に関わることに,必ずしも名前をつける必要はそもそもないこと
例えば,マジョリティの異性愛者は,自分が異性愛者という「カテゴリー」におさまるということは普段意識していないと思いますが,特段不都合はないと思います。
性的マイノリティについても,当人がそう名乗りたいならば名乗ればいいですが,そういう「カテゴリー」を不要とするなら,名乗る必要はないのです。
自分で選び取った名前は「アイデンティティ」となり,他人につけられた名前は「カテゴリ」となります。
(牧村朝子著『百合のリアル』より)
なお,牧村朝子さんの将来の夢は,「幸せそうな女の子カップルに“レズビアンって何?”って言われること」だそうです。
今は過渡期だと思います。LGBT以外の様々な「カテゴリー」の存在を多少は知っておく方がいいのは間違いありません。しかし,そもそも無限にある性のバリエーションを,いくつかの「カテゴリー」におさめること自体に無理があるし,それを必ずしも当事者が望んでいる訳ではない,ということは押さえておきたいと思います。
【 Part 3】
前回は, LGBTという言葉のデメリットの1つ目として,LGBTという言葉は,この4つの括りに入らない「カテゴリー」のマイノリティの存在を取りこぼしてしまうということを紹介しました。
今回ご紹介するLGBTという言葉のもう1つのデメリットは,LGBT=「普通」ではない人,という誤解を生みかねないということです。
今回の話は,SOGIという言葉を理解するために重要な点なので,是非読んでいただきたいと思います。
LGBTという言葉が独り歩きしてしまうと,「ジェンダーやセクシャリティに関する話は,LGBTと呼ばれている「普通」ではない,ちょっと異質な人たちについての配慮の話である」という誤った捉え方に繋がってしまう懸念があります。
Part1に書いたように,当初「いないことにされた」方たちは「自分は他と違う」と叫ぶ必要があったのでしょう。しかし,LGBTと言われる人たちは,「普通」の人と違った,別のよく分からない生き物なんかではありません。誰を好きになるのかとか,自身の性別をどう認識するかとか,そういう点においては多数の人と違う属性をたまたま持っているだけで,それ以外の点は,他の人と同じ人間なのです。
障害のある方が,腫れ物扱いされ,変に特別扱いされることで傷つくケースは多いと聞きます。それと似たような話と言えるでしょう。
そもそも「普通」って何なのでしょうか。
次回,Part4では,「普通」という言葉について,障害福祉の視点をお借りして,もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
【 Part 4】
前回は,LGBTという言葉の2つ目のデメリットとして,LGBT=「普通」ではない人,という誤解を生みかねない,ということをご紹介しました。
今回は,そもそも「普通」とは何なのか,少し掘り下げて考えてみたいと思います。
紹介したい記事があります。
この熊谷晋一郎さんという方は,脳性麻痺で車椅子生活を送りながら,医師,科学者として活動されている方です。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが,人間は物であったり人であったり,さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
東日本大震災のとき,私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で,エレベーターが止まってしまったからです。そのとき,逃げるということを可能にする“依存先”が,自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても,他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。
これが障害の本質だと思うんです。つまり,“障害者”というのは,「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて,障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で,健常者はさまざまなものに依存できていて,障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして,一つひとつへの依存度を浅くすると,何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて,その便利さに依存していることを忘れているわけです。
実は膨大なものに依存しているのに,「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが,“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから,自立を目指すなら,むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく,依存先が集中している状態です。だから,障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。”
私は,ふだんはメガネをかけて生活し,「障がい者」のような苦労はせずに生活していますが,もしもメガネが無い社会であれば,視力に障害がある方と(程度は違うものの)似たような苦労を強いられていたでしょう。「障がいはグラデーション」とよく言われますが,「障がい者」と「普通」の人の違いもグラデーションだし,「普通」の人の中にも,無限のグラデーションがあります。多くの人が,意識はしていないけれど,生きづらさを感じないようにちょっとずつ社会に依存し,社会に生かされているといえるでしょう。
性に関することも同様です。マジョリティは,特に不自由なく結婚ができる等,マジョリティにとって生きやすい「社会」にちょっとずつ依存し,生かされながら生活している,といえるのです。
(余談)生活保護は,被保護者の最低生活の維持とともに,自立助長を図る制度で,この「自立」には経済的自立だけではなく,社会的自立,精神的自立も含まれる,とよく言われます(私もケースワーカー時代に言われたことがあります)。
この社会的自立と精神的自立のことが「よく分からない」というのがケースワーカー時代の率直な振り返りなのですが,熊谷さんの言う「自立を目指すなら,むしろ依存先を増やさないといけない。」というのは,理解の助けになるのでは,と感じています。
【 Part 5】
LGBTという言葉の2つのデメリットを踏まえ,いよいよSOGIという言葉(観点)をご紹介します。
私自身の説明より,もっと適切に述べてある記事がありますので,そちらをご紹介します。
(牧村)今国際的に大きな転換点として,LGBTという言葉から,「SOGI(ソギ)」という言葉へだんだん変わりつつあります。国連人権理事会でも扱っていますし,国際レズビアン・ゲイ協会(略称:ILGA)やアメリカ・スプリングフィールドの条例でも「SOGI」という言い方が入ってきています。
これはどういうことかというと,「LGBT」という言葉がなかったころって,「普通はみんなシス(異性愛者)でしょう」という考え方だったんですよね。生まれたときに言われた性別をみんなそのまま生きてきて,「異性を好きになるのが普通,それ以外のあり方は例外で矯正すべきもの」と考えられていたんです。でもそうじゃない,私たちはレズビアンだ,ゲイだ,バイセクシュアルだ,トランスジェンダーだと,「私たちをいないことにするな」とみんなが声を上げて,「普通」ということが揺らいだ。見ないことにしてきた人たちを「いない」ということにできなくなってきた。そういうステップで使われたのが「LGBT」でした。
でも実は,「みんなが尊重されるべき」なんです。全員,ひとりひとり,「性のあり方」は違うはずです。例えば私は,ひとことで「異性愛者です」と言う人に,話を聞いたことがあるんですね。
「なぜ異性愛者なんですか?」って尋ねてみると,答えはみんな違うんですよ。
「子どもが欲しいから」
「今のところ異性としか付き合ったことがないから」
「なんかそういうものだと思うから」
「今好きな人が異性だから」……って。
全員が細かく考えてみると,違う。それらが一つ一つ平等に尊重されるべきでしょう,ということで,今「SOGI」という言い方をしています。「SO」はセクシュアルオリエンテーション(Sexual Orientation)の略で,性的指向。同性愛・両性愛・異性愛・無性愛などのことですね。「GI」はジェンダーアイデンティティ(Gender Identity)の略で,性自認。女性・男性・中性・無性など,本人が自分の性別をなんだと思っているかということです。
(聞き手)「LGBT」という言い方だと,マイノリティの中でさらにそれ以外のマイノリティがそこからこぼれ落ちてしまう,それがさらにマイノリティになってしまうこともあり得ると思うんですが,「SOGI」という考え方なら異性愛者も同性愛者もとにかく全員が含まれるわけですよね。
(牧村)そうですね。それぞれの性的指向がある,それぞれの性自認がある,それはみんな一緒だよね,ってことですね。
(聞き手)すべての性自認のあり方が「普通」であると……うーん,「普通」って難しいですね。みんなそれぞれ違うのに「普通」でくくるのは難しいですよね。
(牧村)個人個人が違うのであって,「同性愛がクール」とか「異性愛が普通で生産的」とかの上下関係はない。平等,優劣がない,ってことですよね。私は「普通」という言葉はかぎかっこ付きで使ったりします。
私自身の理解では,例えば「黒人」と「人種」の関係が,「LGBT」と「SOGI」の関係に近いと思っています。
本当に必要な態度は,「黒人を理解しよう」,「LGBTを理解しよう」ではなく,「人種を理由に差別するのはおかしい」とか「SOGIを理由に差別するのはおかしい」なのだと思います。
【 Part 6】
前回は,一部の当事者を対象にしたLGBTという言葉ではなく,全ての人を対象にしたSOGIという言葉が用いられるようになってきた,という話をご紹介しました。
実は,似たような発想の転換は,障害福祉の分野で既にありますので,今回はSOGIの理解を助けるために,それをご紹介します。
ご存じの方も多いと思いますが,障害福祉の分野では,「障がい者」という狭義の「当事者」を対象にした「バリアフリー」という発想から,その社会に暮らす全員を当事者として捉えなおす「ノーマライゼーション」という発想への変化がありました。
この「バリアフリー→ノーマライゼーション」という発展は,「LGBT→SOGI」という発展と似ていると私は感じています。
関連して,「障害」の定義が「個人モデル」から「社会モデル」に変化してきたという点もここで押さえておきたいと思います。
かつての「個人モデル」の考え方では,「障がい者」が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり,克服するのはその人の責任だとされました。それに対して「社会モデル」は,「社会こそが『障害(障壁)』をつくっており,それを取り除くのは社会の責務だ」という考えです。
(余談ですが,この社会モデルという考えをもとにすると,「障害」を「障がい」と記載することに,正直,違和感を覚えます。「(社会との間に)障害のある方」という表記が適切,という意見を以前とある記事で読んで,なるほどと思いました)
この「社会モデル」の考え方を参考にすると,性的マイノリティ方の現在の生きづらさは,その当事者ではなく,「社会」の側の至らなさにある,とも考えられるでしょう。例えば,同性婚が可能で,何ら差別もない状況ならば同性愛者は同性愛者であることの生きづらさとは無縁で,「普通」に生きられるでしょう。
考えようによっては,「普通」のマジョリティは何の配慮も要らない一方,マイノリティには配慮が必要,ということではなく,マジョリティがむしろ「優遇」されている,と捉えた方が適切なのかもしれません(例えば,なぜ異性愛者だけが法的に結婚できるのか・・・?)。
【 Part 7】
Part5,6では,SOGIという言葉を「ノーマライゼーション」の考え方なども拝借しながら紹介してきました。
ここで,念のため,SOGIという言葉を正しく使うための視点を確認したいと思います。
SOGIやノーマライゼーションの重要な観点は「みなが当事者である」ということです。
この「みなが当事者である」という言い方は「みな平等」で「何ら配慮はしなくていい」という誤解を招きかねませんが,決してそうではありません。
例えば,ノーマライゼーションは,障害のある方への「合理的な配慮」を求める障害者差別解消法と両立します。両立どころか,「社会モデル」の考え方からすれば,当事者たちの生きづらさを解消する義務は社会の側にこそあると言えるでしょう。
異質なものとしてマイノリティだけに名前を付け,自分たちマジョリティを「普通」とみなして,自分たちが優遇されている事実に目を背ける,そんな姿勢は望ましくありません。 SOGIというのは,「普通」を疑いつつ,あらゆる個人の生きづらさを解消していくための言葉なのです。
最後に,マサキチトセさんという方の言葉を引用します
SOGIは,一見中立な基準です。全ての人を横並びにし,分類する概念です。
しかし実際には,一部だけを優遇するようなノーマティビティの力が社会全体に働いています。このまま「LGBTの代わりにSOGI」という安易な言葉の入れ替えが起きてしまって,SOGI概念を使う意義としてのノーマティビティへの批判という側面を私たちが忘れてしまったら,どうなるか。
そこに残るのは,「みんな多様だよね」という,それ自体は確かに事実だけれど,そんなこと言ってても何も解決しないという事態でしょう。さらにそこには,差別を受けてきた歴史やそれによって皮肉にも生まれてしまった豊かな文化の記憶は,受け継がれないでしょう。
「みんな多様,LもGもBもTも異性愛者もシスジェンダーもみんな色々あるよね,みんな当事者,みんな今のままでいい,個性だもん,社会なんて関係ない,互いに個人的に寛容になって,それぞれハッピーに生きよう!」
そんな風に,批判の力を失ったSOGI概念は,いとも簡単に社会の問題を「個人の問題」に矮小化し,差別の構造や仕組みを温存する方向に行ってしまう気がします。
【 Part 8】
Part7までお付き合いいただきまして,まことにありがとうございました。
今回は,念のため付け加えておきたい注意点を投稿いたします。
「念のため」と言いつつ,重要な内容ですので,お読みいただけると幸いです。
①性的マイノリティの差別の問題を考えるために,障害福祉の分野の考え方を拝借しました。ただし,同性愛は病気でも障がいでもありませんので,そこは間違えないようにしていただきたいと思います。
現在では,WHO(世界保健機関)や米国精神医学会,日本精神神経学会などが同性愛を「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず,治療の対象から除外しています。
ただし,当然ですが,仮に同性愛が病気や障がいであったとしても,それを理由に差別していいことにはなりません。
②性同一性障がいが,「障がい」や「病気」なのか,という点は,実は非常にデリケートで難しい問題です。是非,下記の記事を読んでください。全部読んでもらいたいので,引用はいたしません(そんなに長い記事ではありません)。
関連して,性同一性障がいではなく,「性別違和」という表現を使おうという考え方が,最近出てきていることをご紹介します。簡単に言うと,「病気」や「障がい」というと,どうしても,「普通」に比べて非健康的で,治療しなければいけないもの,というイメージがついてきてしまうので,そうではなく「違和」という言葉を使おう,という発想です。
Part8まで続けてきた投稿で,色々なことを述べましたが,言いたいことは,本当はまだまだいっぱいあります。
素朴な疑問や感想でも構いませんので,ご連絡いただければと思います。
質問を頂ければ,それについて回答するかたちで,また投稿するかもしれません。
また,最初の投稿でも書きましたが,私自身もまだ勉強中の身であり,誤った点や不適切な表記等があったかもしれません。何卒ご容赦頂き,お気づきの点がございましたらご指摘ください。何卒宜しくお願い致します。
【 Part 9】
最後に,私自身が最も影響を受けている牧村朝子さんという方の本を紹介いたします。
彼女は,もともとタレント業をしていて(元ミス日本ファイナリスト!)で,今は文筆家としても活動されている方です。フランス人女性と同性婚をされた経緯もあります。
こういったテーマは堅く,難しくなりがちですが,彼女の文才は凄まじく,どの本も非常に読みやすく書かれています。 もう少しこのテーマについて知りたいなぁ,と思った方は,まず,下記の彼女の本を読んでみてもらいたいと思います。
①『百合のリアル』
まず読むべきは,これだと思います。4人のキャラクターが,「性」に関わる色々な悩みを「先生」に相談していく,という形式の本です。いわゆるLGBTといった性的マイノリティの基礎知識の解説としても良い本です。冒頭の79ページが試し読みできます。まずは騙されたと思って,読んでみてください。
②『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?——聞きたい! けど聞けない! LGBTsのこと——』
タイトルのとおり,聞きにくいけど聞きづらい読者からの素朴な質問について,丁寧に答えていく形式の本です。目次などを見て,気になる質問があれば,読んでみてはいかがでしょうか。
③『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』
同性愛者たちが「異常」とされ,矯正,治療されてきた歴史について書かれた本で
す。歴史の本というと身構えられそうですが,とても読みやすいです。性的マイノリティについての基礎知識がなくても,読めると思います。
④『ハッピーエンドに殺されない』
エッセイ集です。基礎知識がなくても読める他の本とは少し違うので,いきなりこれを読むのではなく,①~③を読んだうえで,がオススメです。
※牧村朝子さんは,Twitterもされているので,気になる方は是非フォローを!