積読だった『負債論』をこれから読んでいく。
本文だけで600ページ弱、注なども含めれば800ページを越えるような大著だ。読むのに1年くらいかかるかもしれない。
そこで、なるべく細かめに、小出しで要約(というかただの抜書き?)をつけていくことにする。
これを土台に、いずれ自主ゼミが出来れば理想的・・・?
以下、要約(第1章)
・「ともかく借りたお金は返さないと。」という言明が強力なのは、それが経済的な言明ではなく、モラルの言明だからである。この自明さこそが、この言明を厄介にしている。
・負債とは何かについてわたしたちが理解していないということこそが、負債の力の基盤である。暴力の正当化とモラルによる粉飾には、負債が最も有効だ。マダガスカル等の最貧債務国は、かつて攻撃、征服された国々だ。他方、同じ債務国でもアメリカは事情が違う。マフィアが銃を持って「貸してくれ」と言い「みかじめ料」を取っていくのと同様、アメリカは「融資」という事実上の「貢納」を得ている。マダガスカルとアメリカの違いは銃、軍事力だ。
・債務の歴史やあらゆる宗教をみると、①借りた金を返すのは純粋にモラルの問題という考えと②金貸しは邪悪、という考えが共存しており、モラル上の混乱がある。
・貨幣は、モラル上の「義務」の数量化を可能とし、「負債」とする。そこで負債は冷酷、非人格的となり、譲渡可能になる。この数量化には暴力が結びついている。暴力が人間関係を数学に変えてしまう仕組みこそが、負債に関するモラルの混乱の源泉である。
・2009年からの金融危機のあと、金融市場の民主的な管理、債務者への救済は実現しなかった。IMFでさえ、このままでは更なる金融破局、ひいては民主主義(資本主義)への脅威となるという懸念を持っている。その今、負債の歴史を再検討するのは重要だ。
・この本は負債の歴史だけではなく、人間とは、人間社会とは何か、という問いを投げかける。その中で、すべての人間関係を交換へと還元してしまうというのが、誤った見方であるということをみていく。交換の原理は、暴力の帰結として登場した。つまり、貨幣の期限は、犯罪と賠償、戦争と奴隷制、名誉、負債、そして救済のうちにみいだしうる。