幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

人事管理を「中心×ゾーニングモデル」から「全体×レイヤーモデル」へ−『都市をたたむ』を参考に

今回は、都市計画をテーマにした『都市をたたむ』という本の着想を、強引に人事管理やジェンダー等の問題に引き付けてみた話。
思いつきで突っ走った話なので、多分、結構粗い書きぶりだが、ご容赦頂きたい。

 

●『都市をたたむ』での議論
役所の職員有志で「読書会」という勉強会をやっていて、先日は『都市をたたむ』という本がテーマだった。
(報告者以外の参加者は読まずに参加してもいい勉強会で、自分も読まずに参加した。)

都市をたたむ  人口減少時代をデザインする都市計画

都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画

  • 作者:饗庭 伸
  • 発売日: 2015/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

報告によると、その本では、以下のようなことが書かれていた。

・従来の都市計画は「中心×ゾーニングモデル」で考えられていた。すなわち、中心から遠いエリアを「計画的に縮小するゾーン」にするという考え方。
・しかし、そのような都市計画に基づいたまちづくりは実現しておらず、実際には、スプロール=虫食い的に開発が進んだことで、都市は外側から縮小するのではなく、スポンジ化していっている。ゆえに、コンパクトシティとかよく言われるが、実現はそう簡単ではない。
・このスポンジ化の特徴として、場所のランダム化(駅近から始まり徐々に郊外に向かう、いった法則性を持たずに発生)や不可視化(建物は使われなくなってもすぐに取り壊されるわけではないため、わかりづらい)といったものがある。
・ゆえに「中心×ゾーニングモデル」モデルではなく、スポンジ化した都市を前提に、「全体×レイヤーモデル」によって都市計画をしていくべきではないか。
・そもそも日本の都市計画は、人口や資本が次々に都市に流入し、そのままでは溢れてしまう欲望を捌くための規制手段だった。しかし、今の日本では、人口が減少し、その人口の9割以上が既に都市に住んでいて地方から都市部への人口移動が頭打ちになっている。このようにある意味で都市が成熟している中、従来の溢れる欲望を捌く発想の都市計画は時代にそぐわない。

 

 

この都市計画論自体、とても興味深いもので、もっと掘り下げて考えていきたいものだが、今回は、このスポンジ化という認識や「中心×ゾーニングモデル」から「全体×レイヤーモデル」への転換という提起は、人事管理においても妥当するのではないか、と思い当たったので、書き留めておきたい。

 

●人事管理へのあてはめ
これまでの人事・労務管理は、中心に無理が効く職員(主に男性)を、周辺に育児や家事、介護といった事情で無理が効かない、配慮が要る職員(主に女性)を配置するという発想で成り立っていると考えられる。
例えば、自分が働く市役所の場合、中心=本庁では無理が効く職員が、周辺=出先や区役所では無理が効かない職員が多く働いているし、「特定事業主行動計画」においても、そう認識されている。国の場合はもっと露骨かもしれないし(本省/出先)、民間企業でも、似たようなところは少なくないだろう(本店/支店)。
いずれにしても、現状の人事管理は「中心×ゾーニングモデル」だと言って大きく差支えは無いだろう。

 

※念のため補足するが、区役所や出先の仕事やそこで働く職員を軽んじる訳ではない。能力の高低で本庁/出先を色分けする発想を持つ人もいるし、「左遷」なんてイヤな言葉もあるが、少なくとも自分が勤めている市役所の区役所は、とても重要な役目を担っていると思っている。能力の高低ではなく、 1人1人異なる適性の問題でもある。自分も、福祉の現場でケースワーカーとして働いたことがあるし、そこでの仕事に誇りを持っていた。
とはいえ、政策立案業務を担う本庁に「無理が効く職員」、つまり、育児や介護とは無縁でひたすら長時間労働をやるような職員ばかりが集まるのはやはり不健全で、本庁にも、もっと多様性が必要だと思う。

 

この「中心×ゾーニングモデル」は次第に行き詰まりつつあるので、「全体×レイヤーモデル」へ転換する必要があるのではないだろうか、というのが今回の要旨だ。

 

今の時代、女性職員の職場での存在感はかつての比ではない。大学で高等教育を受け、専門知識を持った女性職員も多く、彼女らを漫然と周辺に配置することは、女性自身の視点からも、人材活用の観点からも、ふさわしくない。女性が、妊娠出産を機にキャリア向上を断たれ、閑職に甘んじざるを得ないことは、マミートラックとも言われ、最近問題視されている。また、最近では、男性の育児参加の必要性も強調され始めたし、介護離職という問題もある。
つまり、端的に、無理が効かない職員が明らかに増えているということだ。

 

 

これまでは、無理が効かない職員のボリュームが少なかったからこそ、彼ら(彼女ら)を周辺に押しやる方法での「中心×ゾーニングモデル」の人事管理で組織を回せたのだろう。しかし、無理が効かない職員だらけになって来つつある今、そういった無理が効かない職員を、全て区役所や出先という周辺に配置するわけにはいかず、本庁にも育児期の職員が今後増えていくことと思う。というか、既に、そのような事態は確実に発生し始めている。

 


もちろん、政策決定に携わる本庁職員に多様性があるということ自体は喜ばしいことなのだが、基本的な思想が「中心×ゾーニングモデル」のままで、なし崩し的に無理が効かない職員の本庁配置が進行しているのではないか、という危惧がある。あらゆる部署で無理が効かない職員が点在することは、そのままでは組織運営や事業継続における「リスク」だが、その対応は果たして十分なのだろうか。

 

※背景として、公務においては業務委託や指定管理等、アウトソーシングが進んだこともある。かつて周辺の調整弁として機能してきた「部署」は、もはや役所の人事の「外」にあり、今の役所の中には、相対的に「中心」に近い職場が残っているものと思う。これはつまり、調整の余地が少なくなってきている、ということだ。

 

この「リスク」に直面し、職場では色々な歪みが生じている。
まず、無理が効く職員に更に負担が集中しており、これが最も深刻な問題だろ。子どもを産まない(産めない)人との分断は一層深刻になっていく。反対に、そもそも子どもを産むのを控えたり、育休取得を断念したりする人もいるだろう。業務パフォーマンスそのものの低下が余儀なくされる場合もあるだろう。また、非正規雇用アウトソーシングで乗り切ろうとすることもあるだろう(暫定的な措置だったはずの臨時職員が常態化し、それが問題視され会計年度任用職員制度が走り始めたが、今後どうなることやら。)

結局のところ、リスクは、正面から対応されずに、ただ付け替えられつつ、移動しているだけなのかもしれない。

 

そして、自分が恐ろしいと思うのが、これらの歪が、都市のスポンジ化と同じく、ランダム的、不可視的に発生するという点だ。育児や介護、疾病といったプライベートの事情は、まさに、いつ発生するか分からないという意味で、ランダムの要素がある。そして、カバーする職員の業務増や、産み控え、育休断念など、そういうところは非常に見えにくい。
とはいえ、現場の職員は、肌感覚で違和感や危機感を抱いている。ダメージは確実に蓄積して、金属疲労を起こして少しずつ劣化しているのに、打開策が無い状態。

 

 

そろそろ、「中心×ゾーニングモデル」、すなわち「配慮が要る職員は、配慮が可能な職場に」という発想から離脱し、あらゆる部署に無理が効かない職員がいるという前提で回るよう、「全体×レイヤーモデル」での組織管理、業務運営を考えなければいけないのではないか。
もちろん、防災など、どうしても「無理が効く職員」が必要な部署があるのかもしれないが、そういうところがギリギリまで少なくなることが望ましいのではないだろうか。

 

 

●「夫や夫の職場もリスクを取るべき」は正論ではあるが
政治学ゼミで一緒にジェンダー等を学び、今は霞が関でキャリア官僚として働く後輩の女性(仮称:Tさん)とときどきtwitterで意見を交わすんだが、それについても言及しておきたい。
自分は「男性の育休取得が進まないのは、育児家事への無関心や上司の理解、手当の金額なんかではなく、単純に仕事が忙しすぎて、ただでさえ忙しい他の人に自分の仕事を頼めないからではないか」という意見を持っている。
これに対し、Tさんからは、以下のように言われる。
・女性にとっても、産休は必須だが、育休はそうではない。
・しかし、何だかんだで、女性の側ばかりが育休を取るし、その想定で職場は対応する。
・仕事が忙しいこと、休むことで他の人に仕事を任せないといけないことは、女性にとっても同じ。
・それでも女性が休むにあたり、女性はキャリアから「降りて」いる(マミートラック)
・男性にもキャリアから「降りる」という選択肢があるのだから、女性ばかりがそうなるのは不公平だ。

Tさんの意見は、基本的に正しいと思う。育休というのは、キャリアや仕事にとってはある意味での「リスク」だ。しかし、その「リスク」を妻側にばかり取らせているが現状だし、夫や夫の職場にはその「リスク」を引き受ける覚悟が足りていない、とも言える。

 

しかし、だ。そもそも育休が「リスク」になるということ、それ自体を変えていかなければいけないのではないか。


無理をしない働き方でも、キャリアを諦めないで済む(定時に帰るけど、能力を活かして良い仕事をする)とか、無理が効かない職員がいても仕事が回る(誰かが育休を取っても、無理なくカバーが効く)とか、そんな職場を作れるようにシフトして、「誰がリスクを取るべきか」という発想から抜けないといけないのではないか。


マミートラックの横に、パピーラックや介護トラックをいっぱい走らせたって仕方がない。中心に残る人がキツいし、トラックに載せられる人も不幸だ。そういうトラックを前提にした人事管理(中心×ゾーニングモデル)からの離脱が必要なのではないか。 
長時間労働が強いられる霞が関の働き方を考えると、夢物語のように聞こえるのかもしれない。
でも、諦めたくはないし、自分の周りでは中心/周辺の境界が既になし崩し的に溶けつつあり、理想論ではなく、対処が必要な課題なのだと思う。

 

(根拠は無く何となくそう思うんだが、地方自治体に比べ、中央省庁では中心/周辺の区別がまだ強く残っているのではないだろうか。そういう意味では、「全体×レイヤーモデル」へのシフトの必要性は、地方自治体の方が強いのかもしれない。

 

●「全体×レイヤーモデル」をどう実現するか
具体的な対応としては色々な手法があるだろう。例えば、不必要(優先順位:低)な業務の見直しや増員。端的に、残業が当たり前の職場があること自体がおかしい。これら、仕事の総量へのアプローチがまず必須だろう。


そもそも、役所にはグレーバーの言う「クソどうでもいい仕事」が絶対にいっぱいあるはずで、エッセンシャルワークたる育児や介護が、天秤にかけられていること自体がおかしい。

※まだ読めてない。来年は必ず読む!


そうやって総量へのアプローチをやりつつ、小室淑恵さんが提唱するマルチ担当制や、属人的なノウハウの可視化、標準化などにより「いつ穴が開いても誰かが容易に埋められる」というアプローチも重要なのだろう。
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