幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

公共サービスのアウトシーシングについて 雑感

 

先日、水道民営化について「読書会」で議論する機会があった。
本自体は未読だが、下記2冊の本について報告があり、要約を聞くことができた。

水道の民営化・広域化を考える [改訂版]

水道の民営化・広域化を考える [改訂版]

 
日本が売られる (幻冬舎新書)

日本が売られる (幻冬舎新書)

 

 

これを機に、思うところを備忘的に書いておきたい。

 

1.よくある批判―アウトソーシングで公共サービスのクオリティが下がる?

公共サービスのアウトシーシング(民営化や委託等)については数多の論点があるが、反対派の側からは、アウトシーシングによってサービスのクオリティが下がるという批判はやはり根強い。

 

クオリティが下がる原因としては色々あるのだろうが、

例えば

①利益重視の為のコストカットや、

②ノウハウが公共セクションに蓄積されずマネジメントが機能しないことから業者への丸投げが常態化する、といったものなどが挙げられる。

 

①としては、学校給食事業の民営化によって、安い食材を安易に使ったり、手抜きをしたりしてまともな給食が供給されなくなる、といった批判が代表的だろう(組合にありがちな意見)。

②としては、施設管理の問題があるだろうか。公共施設の指定管理が当たり前になって久しいが、丸投げの実体を問題視する意見を時折耳にする。

 

2.民間だとクオリティは本当に下がるのか?
だが、こういう話題の時に、いつも「上手くいっているアウトソーシングもあるのではないか」、「民間で上手くやっている領域もある」という疑問が湧く。

 

例えば①の問題。

公共工事は基本的にアウトソーシングだ。発注者は仕様を定めて発注するが、実際に施工するのは当然、建設会社や土木業者だ。公務員自身が鉄骨を組んだり、コンクリートを固めたりすることは無い。では、そういう工事で業者の手抜きやピンハネが横行しているのかというと、そうではない。門外漢なので実務はあまり知らないのだが、仕様書や監督、検査の仕組み、入札制度など色々な手法で、適切なクオリティの維持が図られているはずだ。

また②の問題。当然だが、あまたある建物のうち、そもそも大多数は民間のもので、公共施設なんて僅かだ。だが、そういった公共施設以外の建物の管理自体が不適切かというと、そうではないだろう。例えば、デパートの建物管理が、区役所のそれに比べて劣っているかといえば、そうではない(ユニバーサルデザインの配慮辺りで温度差はあるかもしれないが)。また、例えば、JRや飛行機などの現場は言うまでもなく民間だが、監督官庁である国交省のマネジメントが著しく機能不全を起こしている、という批判は見たことが無い。

 

もちろん、公共工事にしろ、公共交通にしろ、残念ながら時折不正事案が発生する。しかし、素朴に「民間だから不正が起きる」と捉えることは誤りだろう。悲しいかな、公務員だって不正に手を染めることはある。

 

3.何をやるか(政策判断)/どうやるか(経営判断
ゆえに、水道民営化についても、こう考える余地は無いだろうか、とそのとき問題提起した。

 

例えば国土交通省の監督でJRが機能しているように、事業者を適切に規制できる個別の制度や枠組みが敷かれていれば、水道事業の民間運用も不可能ではないのではないか、と。

 

この発想は、今井照氏の『地方自治講義』の影響もある。
彼は、「公権力の行使」といった大ぶりで形式的な議論に終始しているうちになし崩し的にアウトソーシングが既成事実化し、住民の権利が侵害されてしまうのは問題だ、個別の法規制を検討すべき、という趣旨のことを述べていた。

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

 

 

ただ、そこでMさんから、国鉄民営化の際、JRは不採算路線を切り捨てたが、それは国交省には止められなかった」という指摘を受けた。

 

なるほど、「どうやるか」ということについては個別の規制が可能だが、「何をやるか」ということは規制が困難なのかもしれない。そもそも「規制」という言葉がなじまないか。

(↑ここを書き留めておきたかったので、ブログを書いた)

 

水道民営化についての反対意見の一つに、採算が取れない過疎地の水道供給が切り捨てられる、という懸念がある。さすがに、生存権保障との兼ね合いから明確な切り捨てにはならないとは信じたいが、不採算エリアについて手薄になる懸念はある。

 

公共交通は、市民のニーズ的にも「あった方がいい」が、究極的に必要不可欠ではないからナショナルミニマムとは言い難いかもしれない。事実、交通網の整備は地域によって様々だ。また、時代の移り変わりによって、「以前は地下鉄が必要不可欠だったが、産業や人口の変化でバスの方が望ましくなった」という具合に、望ましい交通サービスも変わりうるだろう。

 

そういえば、木下斉氏は、下記の本の中で、福岡市の交通の要が西鉄バスという民間事業者によって成り立っていることについて肯定的に書いていた。これが公共事業なら、合意形成が難しく無理だったところ、民間だからこそ、鉄道からの撤退という「経営判断」が可能だったと。単に撤退したという部分だけを見るとサービスの低下だと思えるが、それが、他サービス(バスとか不動産とかまちづくりとか)の合理化とセットになっていて、全体としての適正化を果たしたのであれば、たしかに肯定的に捉えられるかもしれない。(木下氏は、他方で地下鉄は市営だということについて、どう考えているのだろうか)。 

福岡市が地方最強の都市になった理由

福岡市が地方最強の都市になった理由

 

 

他方、水道は、ナショナルミニマムの最たるもの。撤退は許されない領域だろう。

※合理化、適正化という言葉が使われるかもしれないが、それは方便だろう。生活保護事業での「適正化」という言葉が使われたとき、その意味するところは基本的に、支出抑制、不正受給対策だった。捕捉率の低さや漏給が問題視されることはない。

 

結論としては有体な言葉に落ち着いてしまったが「採算が取れなくても必要」という公共サービスは、根本的に民営化になじまない、ということかもしれない。

そもそも、水道事業自体が究極的に「公共サービス」であり、その在り方の決定が「経営判断」である以上に「政策判断」という側面を持つのであれば、そこには民主的正当性やそれを担保するためのプロセスが必要だろう(最適解だけではなく納得解も必要な領域)。

 

4.その他

あれ・・・?
でも、公共工事の委託は「何をやるか」を行政側が決めた上で、実際の施工を委託すること仕組みだが、そういう枠組みなら水道もアリなのか・・・?
ここまで書いてやはりまた混乱してきた。

 

一口にアウトソーシングと言っても、様々な手法があるし、やはり、その選択の仕方が問題なのだろうか・・・?

指定管理やら、PFIやら、コンセッションやら、色々な手法をきちんと勉強せねばなぁ・・・。

 

ただ、少なくとも、コンセッション方式で、所有権は行政が持ったままということ自体が、果たしてマネジメントやガバナンスとして有効なのか、という点については甚だ疑問。

 

それから、上記の検討は全て、必要条件というか、消極的な要件というか、「アウトソーシングをして問題が無いか」という観点の検討に留まる。
実際にアウトソーシングをするのであれば、「アウトソーシングをした方が良い」という観点も必要だろうな。

 

なお、ここで「アウトソーシングをした方が人件費は安くなる」というコストの論理を持ち出すことには自分は否定的だ。それは、労働ダンピングや公務員バッシングにも繋がる。

 

ここでは詳論しないが、労務管理の問題もある。

いわゆる偽装請負とかそういう論点。

よく行政は「タテワリ」を批判されるが、アウトソーシングだと「ソトダシ」になる。

そういう状況で、情報共有や協働がスムーズに図るにはどうするべきか、という論点もあるだろう。

 

長々書いてきたくせに、結局何もまとまらなかった。
それだけ、アウトソーシングの問題は難しい。