幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

自治体戦略2040構想研究会報告書についての雑感

大学卒業後、10年ほど経つが、出身の政治学ゼミにはときどき顔を出させてもらっている。先日参加したゼミ(ZOOMで実施!)は、総務省自治体戦略2040構想研究会の報告を読んで議論するというものだった。

この研究会や報告については断片的に知っていたが、これを機に報告書を通して読んでみたので、雑感を書いておく(主に第二次報告書)。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/jichitai2040/index.html

 

●スマート自治体への転換
・特に異論はない。
・例えば、生活保護支給のための算定システムは、各自治体が個別にシステム業者に委託して構築しているものと思う。他方、消費者行政では、独立行政法人国民生活センターが構築した一元的なシステムを、全国の自治体で活用している。消費者行政で行えることを、他行政で行えないはずはないと思う。特に、生活保護法定受託事務だし、本来は、国が面倒を見るべきとも考えられるだろう。
・システムが自治体ごとになっているデメリットは2つある。
まず、システム刷新や保守等にかかる費用・手間の問題。法改正があるたびに、各自治体でその対応が必要になっている。
もう1つは、情報集約の問題。消費者行政の場合、自治体で受け付けた相談情報が、ダイレクトに消費者庁の政策に繋がっていた。そういうものが無いと、結局、本省から「照会」が出され、それぞれの自治体がデータ化して回答しないといけないという手間が生じる。
・もちろん、一元化することで、システムに支障が出た場合、致命的な事態になるという懸念はある。例えば、データセンターが災害で機能不全になることも考えられる。しかし、消費者庁では、バックアップを遠隔地に設置し、データセンターの分散化を図るなどの対策を講じている。やりようによっては、上手くいくだろう。
自治体間の一元化と共に、複数業務の一元化も課題の一つ。例えば、生活保護は、戸籍・住民票、福祉介護、障がい、税等の複数の情報を活用しながらでないと実施できないが、「紙で出力されたものを手作業で入力」した経験は何度もある。こういったことが改善されれば、自治体の負担は大きく減るだろう。

 

 

●公共私によるくらしの維持
新しい公共私相互間の協力関係の構築により、くらしを支えていくための対策を講じる必要がある」とある。
これについては、
自治体の職員は関係者を巻き込み、まとめるプロジェクトマネジャーとなる必要がある。自治体においては、公共私を支える人材の確保・育成が重要な課題となる。ワークライフバランスやワークライフミックスを実現しやすい地方圏においては、定年後だけではなく停年前から、新たな活躍の場や豊かな生活環境を求める人材が移住しやすい環境を整備していくことが重要である。(p.29)」

とある。プレーヤーではなくマネージャー、という立ち位置は、政治学を学んだ恩師からも言われたことで、賛同する。しかし、具体的にはどういうものなのか、あまり言及がなく、イメージが湧かない。
ただ、そもそも、公・共・私、それぞれの機能が低下している以上、総量としては機能低下が避けられないのも事実ではないか?AIなどの活用で効率化を図っていくことは必要だが、それ以上にむしろ必要なのは、既存のサービスを是が非でも提供していくことではなく、くらしを支えるために必要なサービスの見極めではないだろうか。端的に、どこまでがneedでどこからがwantなのか、を見極めること。その場合、圏域のようにスケールを大きくしていくことは、どのような効果を持つのだろうか。意思決定はかえって困難になるのでは?

 

 

●圏域マネジメントと二層制の柔軟化
・もっとも論争的な「問題」はここだろうが、これがどう「問題」なのか理解するにはある程度の下地が必要で、実務経験が無い大学生にはなかなか大変だろうと思われる。

 


・そもそも「市町村、都道府県、国の役割はそれぞれどこまでか」という問題自体が、べらぼうに難しい。

まず、総論的に、今井照『地方自治講義』の指摘を振り返っておきたい。

地方自治講義 (ちくま新書)

地方自治講義 (ちくま新書)

 

 

 

同書では、集権/分権だけでなく、分離/融合の軸で考えるべきという「天川モデル」が言及され、集権/分権かはさておいても、少なくとも日本の地方自治は「融合型」であると論じられていた。歴史的に、国は富国強兵、殖産興業を優先したいがために、負担を減らす為、長らく地方に仕事を押し付けてきた一方で、権限・財源は渡してこなかった、と。

具体的に、経験した業務にも引き付けて考えてみる。
もし町村で生活保護を受けたければ、県の福祉事務所が管轄となる一方、市の住民ならば、市役所が管轄することになるというあたりもややこしい(「福祉事務所」の設置義務の関係)。現に、那珂川市は、つい最近、人口10万人突破で町から市になったが、それを機に、生活保護業務を抱えることになった。かように、市町村(基礎自治体)と都道府県の関係は、実は明確ではない。それぞれの業務ごとに多彩なグラデーションがある。
更に言えば、生活保護業務は法定受託事務で、(住む地域で物価が違うため係数をかけて基準額には差をつけてはいるものの、)基本的に国の責任で国民の生存権を保障する全国一律の制度なので、市町村か都道府県かという枠を超えて、国の機関が実施すべきという考え方も可能かもしれない。

生活保護以外にも目を向けてみると、政令指定都市中核市は、一部、県の権限を持っていたりするので更にややこしい。

政令指定都市』では、政令指定都市とは、大都市統治制度としての性格が希薄な妥協の産物であり、あくまで「特例措置の束」でしかない、と喝破されていた。手元に本が無いのでうろ覚えだが、たしか、県に対して、政令市が7割、中核市が5割、特例市が3割ほどの権限を持っていると書いてあった。
(なお、同書では、本庁(市長)と区役所(区長)の役割を大幅に見直そうとした元大阪市長の橋下氏の取組も検討されていて、自治体の役割分担論として非常に示唆に富むので、オススメ。)

 

 

・この報告書は「圏域」の実体化により、いわゆるスケールメリットを働かせようとしているが、今井照氏は、国策としての合併に否定的で、報告書の「圏域」についても、その延長として捉えている。「単位が大きく、数が少なければ効率的」と言われれば、素朴にそんな気もするが、合併政策の検証がまず先だと今井氏は指摘する。

 


・そもそも、「圏域」は、地方自治体のためではなく、あくまで「国益」のためのものという見方もある。例えば、報告書にはこんな記述もある。

「生活実態等と一致した圏域を、各府省の施策(アプリケーション)の機能が最大限発揮できるプラットフォームとするためには、合意形成を容易にする観点から、圏域の実体性を確立し、顕在化させ、中心都市のマネジメント力を高める必要があるのではないか。個々の政策で、圏域単位での対応が合理的な取組を促進する手立ても必要なのではないか。(p.20)」

「各府省の施策」のためには、たしかに、相手方が少ない方が都合が良いのかもしれない。
しかし、国が間違っていた場合はどうなる?
地方自治講義』では、国へ一元化されると、誤った場合の犠牲が大きいため、権力の分節化が必要と論じていた。確かに、分節化で各々の熟度は下がり、失敗の確率は上がるかもしれない。しかし、小さな失敗を重ねた方が回復困難な失敗を1つするよりましで、地方自治はその重要な柱だと。そもそも、自治体を、各府省の施策の拠点と考えること自体、「補完性の原理」の考え方に反するとも言える。

 

・「中枢都市」のまわりにいる連携市町村にとっては、相対的に意思決定の重みを失うという懸念もある。憲法が要請する住民自治という観点からも議論が必要だろう。なお、その観点から、弁護士会が「圏域」批判をしており、非常に読みごたえがある。
https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2018/181024.html

 

・とは言うものの、この指摘も理解できる
「個々の自治体が短期的な個別最適を追求し、過剰な施設の維持や圏域内での資源の奪い合いを続ければ、縮減する資源を有効に活かせないまま、圏域全体、ひいては我が国全体が衰退のスパイラルに陥る。現在の自治体間連携を超えて中長期的な個別最適と全体最適を両立できる圏域マネジメントの仕組みが必要である。(p.30)」

個別最適と全体最適というのは、この本を読んで以来、個人的に重要なテーマだ。個別最適の積み上げが全体として破綻を招く問題は、合成の誤謬とも呼ばれる。

自治体の“台所"事情 財政が厳しい"ってどういうこと?

自治体の“台所"事情 財政が厳しい"ってどういうこと?

  • 作者:今村 寛
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

この本で、今村氏は、財政当局の課長経験者として、個別最適ではなく全体最適を志向する必要性を説き、そのために「対話」の重要性を説いている。例えば、福岡市では、財政当局による全事業の個別査定ではなく、枠予算方式への転換が図られている。これは、局ごとに枠予算を持たせ、局内で調整をさせるという方式で、意思決定のレベルを一か所に集約せず、各局に分散させ、局内の対話を促し、それによって全体最適を目指す取り組みだ。

他方、圏域のスタンダード化は、この枠予算や対話重視の思想とは真逆を行っているように思える。意思決定の主体は、分散どころかむしろ集中することになる。また、規模を大きくしていけば、その分、対話は行いにくくなるだろう。そもそも、国の施策のためのプラットフォームとして地域を捉える考え方からは、そもそも対話は不要ということなんだろうか。