貨幣と負債は同時に登場しており,負債の歴史は必然的に貨幣の歴史である。
しかし,主流派経済学のどの教科書にも載っている「貨幣」についての常識は,①原始的な物々交換→②「二重の一致」の問題→③貨幣の発明→④信用経済への発展,であり,負債は二次的なものとされている。
文化人類学の知見では,そういった発展経路を辿ったという証拠は発見されておらず,この常識はあくまで「神話」である。実際は,まず発生したのは,信用経済のシステムである。
「二重の一致」の問題も,継続的に関係を持つ間柄であるならば,さしたる問題ではなくなる。例えば,「私は靴が欲しい。手元に芋を持っている。田中さんは靴を持っているが,彼は今,芋を必要としていない」というのは典型的な「二重の一致」の問題だ。これを解消するために貨幣が登場した,というのが主流派経済学の説明だが,実際のところ,「いずれ田中さんが芋を必要とした時には,私は田中さんに芋をあげる」という暗黙の了解があれば,田中さんは問題なくすぐに私に靴をくれるのであり,二重の一致は問題にならない。
ただし,ここで計量の問題が生じる。靴1足は,芋何kg相当なのか?そこで,「計量する単位」としての貨幣が登場する。そして,その登場は,主流派経済学とは相性が悪いが,実のところ「国家」と不可分である。メソポタミアの会計体系は,明らかに商取引の産物ではなく,官僚が貯蔵管理と差配のために発明したものだった。そして,その当時の銀はほとんど利用されず,実際は「信用」システムが基盤だった。
そして,物々交換は,現金取引に慣れた人々が通貨不足に直面したときに実践したものだった。