幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

ふるさと納税でコロナ対策費を集めるという「禁じ手」

ふるさと納税(寄付)でコロナ対策費を集める自治体が出始めている。

 

こういうふるさと納税では、通常、返礼品がもらえない。

 

これを活用する人の多くが、自分が返礼品を受け取っていないことから、純粋に「良いこと」をしていると認識しているものと思う。

 

しかし、言うまでもなく、ふるさと納税の「原資」は、本来納めるはずだった居住地への住民税であり、住民がふるさと納税を他自治体にすればするほど、居住地の税収は「流出」していくという事態を見逃すことはできない。

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つまり、コロナ対策の為に善意で寄付をしたつもりでも、それにより、自分が住んでいる自治体のコロナ対策費が減っているかもしれない、ということだ。

これは、本当に「良いこと」なのか?

 

百歩譲って、災害支援では、こういうふるさと納税も「アリ」なのかもしれない。
居住地(非・被災地)と被災地を天秤にかけて、後者への寄附の方が公益性が高い、という価値観も理解はできる。

 

しかし、コロナに関しては、言うまでもなく、困っていない自治体など無い。居住地のコロナ対応と、寄附先のコロナ対応とで、公益性に果たして差はあるのだろうか。私は、無いと思う。

 

この件について、善意の寄付者を責めることは難しい。
問題なのは、寄付者の善意を梃子にして、他自治体の税源に手を突っ込もうとする政策立案者のなりふり構わない姿勢である。ゆえに、私は、このスキームを「禁じ手」だと断じる。
そして、言うまでもなく、こんないびつ極まりない制度を作った総務省(というか菅総理)にその責任がある。

※限られたもの(人、税金)を自治体間で奪い合う、といういびつさは、地方創生政策全般に言えるもの。

 

要するに、返礼品競争がふるさと納税を歪なものにしている、というのが一般的な理解だと思うが、控除の仕組みがある以上、ふるさと納税自体が、根本的に歪なものでしかない、ということだ。
むしろ、無知なる「善意」を利用する点で、返礼品が無い寄付の方が、よりいびつさが剥き出しになっているようにも思える。

 

※寄附そのものを否定する意図はないし、寄附の受け皿として、自治体が基金を創設することは必要なことだろうと思う。問題は、それをふるさと納税のスキームで集めることだ。

  

なお、実は、企業版ふるさと納税というものもある。
こちらは、もともと返礼品が想定されていないが、最大で寄付額の約9割が控除されるという税制上の効果があり、CSR活動PRとしてのメリットが期待できる、というもの。
CSR活動PRとしてのメリット、というのは、マジで「ふるさとチョイス」のHPに書いてある)

これ、要するに、100万を身銭として用意さえしておけば、所在地に本来払う法人関係税900万円を足し合わせて水増し(あえてこう呼ぶ)し、「1000万円を○市に寄附しました!」と宣伝できるという代物だ。

 

この仕組みに、一体、どのような公益性が見いだせるのだろうか。

 

 なお、企業版ふるさと納税の一つの特徴は、寄付の対象が自治体ではなく個別の地方創生事業である、ということだ。この事業は国が認定するものだが、認定のハードルを下げるべく、令和2年度の法改正で、総合戦略などを包括で認定+事後承認というスキームが可能になっている。自治体関係者以外はよく知らないかもしれないが、総合戦略などは基本的に網羅的なものなので、このスキームだと、あらゆる事業が「地方創生に資する」として認定の(潜在的な)対象になり得る。

 

これにより、例によって、企業版ふるさと納税でコロナ対策費を集めている自治体が存在する。つまり、コロナ対策は、地方創生に資する事業だ、ということ。

 

ははっ、地方創生って、一体、何なんだ?

 

 

※似たような趣旨の記事は、過去にも書いている。

ghost-dog.hatenablog.com