幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

コロナが流行っていても行政(公務員)は不急の業務をなかなかやめられない

とある自治体で事務職員をやっている者です。

 

1 不要不急なものは中止・延期となる現状

2020年4月現在,コロナウイルスが全世界的に猛威を振るっている。

他国では,外出原則禁止の措置が取られたりとか。いわゆるロックダウンというヤツ。

日本でも,「緊急事態宣言」が出され,不要不急の外出の自粛が要請された。

イベントは中止・延期され,公共施設は多くが閉鎖。

学校も休校。退職,就職,異動にあたっての歓送迎会も中止するよう通知も来た。

友人,知人の結婚式も延期になった。

飲食店も客が少ない。

人が密集するのを避けるため,通勤時間をズラす「時差出勤」も実施されている。

当面の間,出張も原則禁止とされた。

スペインでは,不要不急の労働の禁止が打ち出されている。

保育園では,可能な限り家庭保育をしてくれ,という要請もされている。

 

ここまで慎重な対応を取るのは,万が一,感染が確認されたときの影響がとてつもなく大きいためだ。

 

北九州市役所では,区役所職員の感染が確認された翌日,年度末の超繁忙期であるにもかかわらず,消毒のため,臨時閉鎖された。

数週間前には,危機管理部署から「職員に感染者が出た場合,課の全員が最大2週間出勤できない。それに備えて,対策を考えろ」という通知も来た。

(こういう分かりきったことを書いているのは,数年後に,このブログを読み返すときのため)

 

 

2 公務員の現状

しかし,自分の周りを見ていると,役所の職員は,いつものように出勤し,いつものように働いている。

他の民間企業のように「仕事をしないと売上が落ちて稼げない」訳ではないにも関わらず。

「いつ,どこからの誰かの感染が確認されてもおかしくない」状況であるにも関わらず。

まるで,自分たちだけは感染しない,かのように。

 

いや,違うな。

感染リスクを抱えて出勤している,ということはみんな分かっているんだ。

職員の間では「どこかの誰かが実は感染してるってことも,全然あり得るよね」という会話もしている。そのうえで変に目立ちたくないので,「とにかく感染確認第1号にはなりたくないよね」という思いをみんな持っている。

 

もちろん,こういう状況だからこそ忙しい部署というのは間違いなくある。防災・危機管理,衛生,保健福祉,広報,報道,経済対策,公共施設担当,教育担当等々。公共料金の支払い猶予という国の方針もあり,債権担当のあらゆる部署が対応に追われているようだ。

自分もまさに,コロナを考慮して公共施設の利用を取りやめた場合のキャンセル料の取扱いについて庁内調整をする必要があり,先日はかなりバタバタと働いていた。

 

だが,役所の中は,そういった仕事ばかりではないはずだ。

端的に,「不要不急の公務」も相当の数,存在しているのではないかと思われる。

 

行政という組織や公務員は,そういう仕事を「不要不急」として棚上げすることが極めて難しい。今回,ブログで書きたいのはこのことだ。

 

今日も,緊急事態宣言期間中も絶対に継続せねばならない仕事や,そのうちテレワーク移行が可能な仕事を洗い出すよう,上から指示があったが,結局,当面「粛々とやる」ということになった。

 

3 熊本地震の際の幹部のぼやき

熊本地震が発生して1か月頃のことだったと思うが,熊本市役所へ支援業務に行ったことがあり,幸いにも,某幹部職員の話を聞く機会があった。

その時期は,多くの住民が避難所生活で,水道等のインフラの復旧も十分でなく,毎日,災害対策本部が実施されているというような「緊急事態」の状況だった。

 

その幹部は,そのような状態にもかかわらず,職員が粛々と通常業務をやろうとし過ぎる,ということに苦言を呈していた。

具体的な例として,そもそも開催可能かどうか分からないようなイベントの実行委員会の立ち上げの決裁が回って来た,という話があった。その幹部は「この緊急時に,そんな決裁を上げて来るな」と突き返したそうだ。

 

4 日本的組織の「習性」

このようなことになってしまうのは,次善の策,プランB,撤退戦の想定がされていない,という日本的な組織の「習性」なのだろうか。

 ベストのプランAが崩壊したときに,ワーストに行くのを避けるために,ベストを捨て,ベターを選ぶという発想。災害時に限らず,日々の仕事の中でも,「一点突破」ではなくプランBを持っておく重要性は痛感しているんだが,あまり行政という組織はプランBを好まないように思える。

 これは何故なのだろうか。未読だが『失敗の本質』はいつか読みたいところ。

 

 ときおり「小さく生んで大きく育てる」という言葉遣いをする人がいるが,持論では,行政はこんなことを安易に言ってはいけない

 民間であれば,儲からなければ批判を恐れず,大きく育たなかったものを切ればいい。

 しかし,公共では,安易に切ることは難しいからだ。

 

  ちなみに,こんな記事を先日読んで,戦慄した。

神風に期待する大日本帝国の時代から,何も進歩していない。

 

朝日新聞「森会長が語る舞台裏 「なぜ1年」問われ首相は断言した」

https://www.asahi.com/articles/ASN306X98N30UTQP01N.html

>来夏になっても新型コロナウイルスの感染が終息しない場合、五輪は再延期されるのか、それとも中止となるのか。森氏は「今はそういうことは考えたくない。賭けたんだよ、21年に。科学技術の進化がなかったら、人類は滅亡してしまう」

 

5 「すべて必要」の前提で動く行政固有の構造的な課題

ただ,そういう日本的組織としての「習性」だけでなく,行政という組織ゆえの固有の構造もあるのだと思う。以前,どこかでも書いたが,行政が行う仕事は「全て必要」で不要な業務などない,という前提で動いている。なぜなら,その年度の事業は,全て予算案というかたちで議会の承認を得て,民主的な正当性を得ているからだ。

「仕事をなかなかやめられない」という硬直性は,もともと,行政や公務員が抱えている構造的な課題だが,災害時には,それが表面化,顕在化するということなのだろう。

 こういう場合,「やるべきこと」の対応が優先され,「何をやめるべきか」を詰める余裕が持てないことで,「やるべきこと」の対応を困難にするという悪循環が発生しがちである。

 

全体最適」のために,不要不急の業務を担当している部署はあえて「頑張らない」ことが必要なのかもしれない。しかし,現実的に,そういう不要不急の部署は,どうやって身を引けばいいのだろうか。ヒラの職員は,何が出来るのだろうか。

 「この事業を休止(延期)したいです。」という起案を上げていく?

 超タイトスケジュールで「やるべきこと」をこなして,忙しく指示を飛ばしている上司の時間を取って?

 「そんなことを,今,上げてくるな」と言われるのがオチなのだろうか。

 

 結局は,「やめろ」という「上の指示」を待つしかないのだろうか。

 そんな受動的なことしか,出来ないのだろうか。

  

 

オマケ 「不要不急な業務を休ませろ」というストライキ

世界では,コロナが猛威を振るう中,「不要不急の自分の業務を休ませろ」というストライキ運動もあっているようだ。それを受けて,「日本でもストライキによって不要不急の労働を拒否できる」として,ストライキの権利を解説する記事もあった。

 

(少なくとも2020年現在)公務員のスト権は保障されておらず,手段として現実的とも思えないが、ストしたい気分だ。

 

「不要不急の労働」を拒否する人々 新型コロナで世界に広がる「ストライキ」の波

https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/20200401-00170848/