SOGIについて

   職場の人権研修のテーマが性的マイノリティの人権で,グループで対話する形式だったんだが,言い足りないことがあるので、補足の文章を書こうと思っていた。

  ところが,とても長くなったので,もうここまで書くなら全庁職員が見れる掲示板に投稿しようと思った。

  ということで,以下はその文章の案。

 

  友人の皆さんに置かれましては,是非読んでいただき,指摘や感想を頂きたいと思います。

 

  週明けに投稿する予定です。

 

↓以下,本文

 

   ほとんどの方,初めまして。
 
 今回は,いわゆる性的マイノリティに関すること,特に,SOGIという言葉について,ちょっと思うことを書きたいと思います。
 実は私は,ジェンダーセクシャリティについて大学時代に学ぶ機会を幸いにも得まして、それ以来このテーマについては強い関心を持ってきました。

  人権研修は毎年あっておりますが,1時間という短い時間では,やはり限界もあろうかと思います(人権研修を批判しているものではありません)。
 そこで,この場をお借りして,私自身が考えていることを述べたいと思います。
 性的マイノリティについてもっと知りたい,という方に,読んでいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

※この投稿は,人権啓発課とは一切関係がないもので,あくまで私個人の私見となっております。当然,市の考えを代表するものではありませんので,その点ご留意ください。
 また,私自身もまだ勉強中の身であり,誤った点や不適切な表記等があるかもしれません。何卒ご容赦頂き,お気づきの点がございましたらご指摘ください。何卒宜しくお願い致します。


●LGBTという言葉が必要だった背景
かつて性的マイノリティは「いないことにされた」人たちでした。「いてはならない」と思われていた,とも言えます。仮に見つかった場合は「普通」ではない,すなわち「異常」とされ,ゆえに,矯正,治療,隔離,嘲笑,攻撃,迫害の対象になってきました(牧村朝子著『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』に詳しいです)。「かつて」と言いましたが,同性愛が法律で禁止され,むち打ちや死刑にされる国もまだあります。
だからこそ,当事者たちは,自身のことを隠して生きることを選んできました。
自分のことを隠して生きることは,同性愛者の間では「押入れ(クローゼット)の中にいる」と暗喩されていました。そこから「(真の自分を押し込んでいた)クローゼットの中から出て真の姿を開放する」という意味でクローゼットからの「カミングアウト」という用語がアメリカのゲイ社会で生まれたのです。そのあと,紆余曲折を経て,ゲイ(G)以外の当事者たちを指す言葉としてLGBTという言葉が次第に定着してきました。
つまり,LGBTという言葉は,当事者たちが「あなたたちとは違う自分たちがここに確かに存在している」と示すために産まれた,と言えます。このような歴史,文脈の中では「自分は他と違う」ということを示すためのLGBTという言葉は有効だし,不可欠なものだったのでしょう。

●LGBTという言葉のデメリット その1(マイノリティを取りこぼす)
しかし,このLGBTという言葉には,2つのデメリットがあります。
1つは,LGBTという言葉は,この4つの括りに入らないマイノリティの存在を取りこぼしてしまうということです(LGBTの他に,この手の言葉はQとかAとかIとか様々あります。恐らくどんどん増えていくでしょうし,名前の付けようがないものも,あるかもしれません)。
それは,「障害者」というカテゴリーでは,最近話題になっている発達障害の方をカバーしきれないことに似ています。では,そういう言葉を全て並べて覚えればいいのかというと,そうではありません。人の性に関わるバリエーションは,それこそ無限にあるからです。

●LGBTという言葉のデメリット その2(「普通」ではないという誤解)
もう1つのデメリットは,1つ目の点も関連しますが,LGBTという言葉が独り歩きしてしまうと,「ジェンダーセクシャリティに関する話は,LGBTと呼ばれている「普通」ではない,ちょっと異質な人たちについての配慮の話である」という誤った捉え方に繋がってしまうということです。
上に書いたように,当初「いないことにされた」方たちは「自分は他と違う」と叫ぶ必要があったのでしょう。しかし,LGBTと言われる人たちは,「普通」の人と違った,別のよく分からない生き物なんかではありません。誰を好きになるのかとか,自身の性別をどう認識するかとか,そういう点においては多数の人と違う属性をたまたま持っているだけで,それ以外の点は,他の人と同じ人間なのです。
障害者の方が,腫れ物扱いされ,変に特別扱いされることで傷つくケースは多いと聞きます。それと似たような話と言えるでしょう。

●そもそも「普通」って何なのか。
私は,ふだんはメガネをかけて生活し,「障害者」のような苦労はせずに生活していますが,もしもメガネが無い社会であれば,視力に障害がある方と(程度は違うものの)似たような苦労を強いられていたでしょう。「障害はグラデーション」とよく言われますが,「障害者」と「普通」の人の違いもグラデーションだし,「普通」の人の中にも,無限のグラデーションがあります。多くの人が,意識はしていないけれど,生きづらさを感じないようにちょっとずつ社会に依存し,社会に生かされている,といえるでしょう。

ここで,熊谷晋一郎さんという脳性麻痺の方のインタビュー記事を引用します
「自立は,依存先を増やすこと 希望は,絶望を分かち合うこと」
 https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_56_interview.html
“一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが,人間は物であったり人であったり,さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
 東日本大震災のとき,私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で,エレベーターが止まってしまったからです。そのとき,逃げるということを可能にする“依存先”が,自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても,他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。
 これが障害の本質だと思うんです。つまり,“障害者”というのは,「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて,障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で,健常者はさまざまなものに依存できていて,障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして,一つひとつへの依存度を浅くすると,何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者
向けにデザインされていて,その便利さに依存していることを忘れているわけです。
 実は膨大なものに依存しているのに,「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが,“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから,自立を目指すなら,むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく,依存先が集中している状態です。だから,障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。”

●LGBTからSOGIへ
このようなLGBTという言葉のデメリットを踏まえ,SOGIという言葉(観点)が要るよね,という動きが出始めています。

牧村朝子さんのインタビュー記事を引用します
「「LGBTのショートカットの道を作って消えていく人になりたい」牧村朝子さんの生き方,働き方」
https://www.e-aidem.com/ch/listen/entry/2017/01/25/
(牧村)今国際的に大きな転換点として,LGBTという言葉から,「SOGI(ソギ)」という言葉へだんだん変わりつつあります。国連人権理事会でも扱っていますし,国際レズビアン・ゲイ協会(略称:ILGA)やアメリカ・スプリングフィールドの条例でも「SOGI」という言い方が入ってきています。
これはどういうことかというと,「LGBT」という言葉がなかったころって,「普通はみんなシス(異性愛者)でしょう」という考え方だったんですよね。生まれたときに言われた性別をみんなそのまま生きてきて,「異性を好きになるのが普通,それ以外のあり方は例外で矯正すべきもの」と考えられていたんです。でもそうじゃない,私たちはレズビアンだ,ゲイだ,バイセクシュアルだ,トランスジェンダーだと,「私たちをいないことにするな」とみんなが声を上げて,「普通」ということが揺らいだ。見ないことにしてきた人たちを「いない」
ということにできなくなってきた。そういうステップで使われたのが「LGBT」でした。
でも実は,「みんなが尊重されるべき」なんです。全員,ひとりひとり,「性のあり方」は違うはずです。例えば私は,ひとことで「異性愛者です」と言う人に,話を聞いたことがあるんですね。「なぜ異性愛者なんですか?」って尋ねてみると,答えはみんな違うんですよ。
「子どもが欲しいから」
「今のところ異性としか付き合ったことがないから」
「なんかそういうものだと思うから」 
「今好きな人が異性だから」
……って。全員が細かく考えてみると,違う。それらが一つ一つ平等に尊重されるべきでしょう,ということで,今「SOGI」という言い方をしています。「SO」はセクシュアルオリエンテーション(Sexual Orientation)の略で,性的指向。同性愛・両性愛異性愛・無性愛などのことですね。「GI」はジェンダーアイデンティティ(Gender Identity)の略で,性自認。女性・男性・中性・無性など,本人が自分の性別をなんだと思っているかということです。
(聞き手)「LGBT」という言い方だと,マイノリティの中でさらにそれ以外のマイノリティがそこからこぼれ落ちてしまう,それがさらにマイノリティになってしまうこともあり得ると思うんですが,「SOGI」という考え方なら異性愛者も同性愛者もとにかく全員が含まれるわけですよね。
(牧村)そうですね。それぞれの性的指向がある,それぞれの性自認がある,それはみんな一緒だよね,ってことですね。
(聞き手)すべての性自認のあり方が「普通」であると……うーん,「普通」って難しいですね。みんなそれぞれ違うのに「普通」でくくるのは難しいですよね。
(牧村)個人個人が違うのであって,「同性愛がクール」とか「異性愛が普通で生産的」とかの上下関係はない。平等,優劣がない,ってことですよね。私は「普通」という言葉はかぎかっこ付きで使ったりします。

●SOGIとノーマライゼーションは似ている
似たような発想の転換は,障害者福祉の分野で既にあります。「障害者」という狭義の「当事者」を対象にした「バリアフリー」という観点から,その社会に暮らす全員を当事者として捉えなおす「ノーマライゼーション」という観点で社会を組み立てよう,という発想です。
関連して,「障害」の定義が「個人モデル」から「社会モデル」に変化してきたという点もここで押さえておきたいと思います。かつての「個人モデル」の考え方では,障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり,克服するのはその人の責任だとされました。それに対して「社会モデル」は,「社会こそが『障害(障壁)』をつくっており,それを取り除くのは社会の責務だ」という考えです。
 これらの障害者福祉の考え方を参考にすると,性的マイノリティ方の現在の生きづらさは,その当事者ではなく,「社会」の側の至らなさにある,とも考えられるでしょう。例えば,同性婚が可能で,何ら差別もない状況ならば同性愛者は同性愛者であることの生きづらさとは無縁で,「普通」に生きられるでしょう。
 考えようによっては,「普通」のマジョリティは何の配慮も要らない一方,マイノリティには配慮が必要,ということではなく,マジョリティがむしろ「優遇」されている,と捉えた方が適切なのかもしれません(例えば,なぜ異性愛者だけが「結婚」できるのか・・・?)。
 
●SOGIという言葉を誤解なく使うために
この「みなが当事者である」という言い方は「みな平等」で「何ら配慮はしなくていい」という誤解を招きかねませんが,決してそうではありません。
例えば,ノーマライゼーションという言葉は,障害者の方への「合理的な配慮」を求める障害者差別解消法の思想と両立します。両立どころか,「社会モデル」の考え方からすれば,当事者たちの生きづらさを解消する義務は社会の側にこそあると言えるでしょう。
異質なものとしてマイノリティだけに名前を付け,自分たちマジョリティを「普通」とみなして,自分たちが優遇されている事実に目を背ける,そんな姿勢は望ましくありません。SOGIというのは,「普通」を疑い,あらゆる個人の生きづらさを解消していくための言葉なのです。

最後に,マサキチトセさんという方の言葉を引用します
LGBTの次はSOGI? 看板を入れかえるだけでは失われてしまうSOGIの本当の意味と意義」
https://wezz-y.com/archives/46730
“SOGIは,一見中立な基準です。
全ての人を横並びにし,分類する概念です。
しかし実際には,一部だけを優遇するようなノーマティビティの力が社会全体に働いています。
このまま「LGBTの代わりにSOGI」という安易な言葉の入れ替えが起きてしまって,SOGI概念を使う意義としてのノーマティビティへの批判という側面を私たちが忘れてしまったら,どうなるか。
そこに残るのは,「みんな多様だよね」という,それ自体は確かに事実だけれど,そんなこと言ってても何も解決しないという事態でしょう。さらにそこには,差別を受けてきた歴史やそれによって皮肉にも生まれてしまった豊かな文化の記憶は,受け継がれないでしょう。
「みんな多様,LもGもBもTも異性愛者もシスジェンダーもみんな色々あるよね,みんな当事者,みんな今のままでいい,個性だもん,社会なんて関係ない,互いに個人的に寛容になって,それぞれハッピーに生きよう!」
そんな風に,批判の力を失ったSOGI概念は,いとも簡単に社会の問題を「個人の問題」に矮小化し,差別の構造や仕組みを温存する方向に行ってしまう気がします。“

●補足1
性的マイノリティの差別の問題を考えるために,障害者福祉の分野の考え方を拝借しました。ただし,同性愛は病気でも障害でもありませんので,そこは間違えないようにしてください。現在では,WHO(世界保健機関)や米国精神医学会,日本精神神経学会などが同性愛を「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず,治療の対象から除外しています。 
ただし,当然ですが,仮に同性愛が病気や障害であったとしても,病気や障害であることを理由に差別していいことにはなりません。

●補足2
性同一性障害が障害,病気なのか,という点は,実は非常にデリケートで難しい問題です。この点については,是非,下記の記事を読んでください。全部読んでもらいたいので,引用は致しません。
「だれの性別も病気じゃありません GENKINGの投稿が示す「性同一性障害」という枠」
https://wezz-y.com/archives/41710?fbclid=IwAR3FLjM6H4twPMKnU2qhFiqMavjoAPdTlsq2OPBZ5xQsKkR9ynxjrsBp1cU
 関連して,性同一性障害ではなく,「性別違和」という表現を使おうという考え方が,最近出てきていることをご紹介します。簡単に言うと,「病気」や「障害」というと,どうしても,「普通」に比べて非健康的で,治療しなければいけないもの,というイメージがついてきてしまうので,そうではなく「違和」という言葉を使おう,という発想です。