幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

育休について(その2) 思考実験ー生活保護受給者が育休を取れるのか?

過去のFacebookの非公開グループでの投稿。

この非公開グループは、「女性活躍」をテーマにした役所の同僚中心のもの。

非公開グループなのでコピペしていいか迷ったが、まぁ、匿名だから良いでしょう。

 

という訳で、以下コピペ(一部編集あり)。

 

【質問】
 今回は、皆さんの意見を伺いたいと思っています。いきなりで申し訳ないですが、率直な意見をお聞きしたいです。

 質問はずばり【生活保護受給者の父親が「育休」を理由に仕事や求職活動をしないと主張してきた場合、どのように考えるのか】です。
※子供が保育園に入るまでの時期を想定してます。

(誤解が無いように予め明言しますが、これは、実際の業務で起こっていることの悩みではなく、単なる思考実験的な問題提起です)

 私は、区役所の保護課でケースワーカーをしていました(その保護課にいるときに、職場の同僚や上司の協力を得て、育児休暇を4か月半取ることができました。)
ご存じのとおり、生活保護受給者は、病気や年齢などの就労阻害要因が無い限り、就労指導を受けることを余儀なくされます。妊婦であっても、出産後、可能な範囲で保育所に子供を預け、就労するよう指導されます。夫婦がどちらも病気等しておらず働けるなら、専業主婦(夫)は許されず、やはり働くよう指導されます。

 では、夫婦そろって生活保護を受けている場合、健康上の問題もない夫が、子供が産まれたからと仕事を休んだり、やめたり、就職活動をしないと宣言したりしたら、どうするのでしょうか。やはり、仕事や求職活動をするよう指導することになるのでしょうか。
 こういう実例は未だお目にかかったことがありませんが、子供が産まれたばかりの家庭で、夫について就労指導を行っている事例は、何度も目の当たりにしてきました。かたや、市の職員たる自分は、育児休業を取ると申請しても、拒否されることはありませんでした。この差異をどう考えるべきなんでしょうか。男性の育児休業を推進したいという気持ちはあるものの、この差異のことを考えると、自分がダブルスタンダード的な振る舞いをしてしまっているんではないかという気持ちになるのです。

 取り得る考えの選択肢は単純化する下記の3つの項目に絞れてしまうと思われるんですが、みなさまの考えはいかがでしょうか。

生活保護受給者も育児に専念していいと考える(生活保護の制度(運用?)のほうがおかしい)
生活保護受給者が働くことを余儀なくされているのだから、市の職員も、可能な限り働くべきと考える(育児休業を取れる市の職員のほうがおかしい)
生活保護受給者と、市の職員は、事情が違う。生活保護受給者は働くべきだが、市の職員は育児休業を取ってよい。その異なる事情とは○○。(現状のままでいい)
④その他

 

友人Sのコメント

俺は③だと思う。違いの根拠は「民主的正当性」

市職員は、労働条件として育児休暇を取得することを認められている。この労働条件は議決されて民主的正当性を獲得しているはず。一方で生活保護が、子どもを預けても働くようにという制度設計なのであれば、育児のために仕事を休む/やめる(ことによって収入を減少させる)ことは民主的に正当だと認められていない。つまりそんな税金の使い道は認めてないということ。で、ここまで書いて思ったけど、上記はあくまでも現行制度を前提とした上での回答であって、そもそもの制度自体の在り方とか思想について答えてないので、●●が問おうとしたこととズレてるかも、、、?

親が働きに出る際に保育所に子どもを預けると、その保育所の運営にも税金は投入されているので、結局保護費と保育所運営費を天秤にかけて、どっちが財政上良いのかという観点とか、そもそも家事や育児や介護も「労働」じゃないのかとかいろんな論点が含まれる思考実験だと思う。ちなみに、親の介護してる受給者に対しても、施設に預けて仕事しろって指導することになるの?あと一つの問題は、夫婦同時取得を認めるのかということ。妻が育児休暇取得あるいは専業主婦をしている間に、夫が育児休暇を取る(あるいはその逆)ことの是非。それと関連して、①については、夫婦のどちらかは認めてもいいんじゃないかという気は、個人的にはしている。財政上の云々は置いといて。

 

先輩Aのコメント

●●さん、初めまして。●●さん、問題提起ありがとうございます😊

ワークライフバランスが未だに福利厚生的な制度に留まっている現在では、③の、制度が違うので育休が取れる取れないは立場が違えば利用の可否は別れると思います。だからと言って、我々がワークライフバランスや育休を取るのを萎縮すべきではないと思います。

我々が目指すは、制度が社会全体に行き渡って、男女の別なく、また、子どもの有無なく、すべての人が自分のライフの割合や優先順位を自分で選択できるようになることなのです。制度が利用できる我々が率先して取得して、社会全体へのロールモデルになるのが、今できる精一杯のことじゃないかなと思います^_^ すると、制度が風土となり、文化となって生活に根付いていくのだと思います。これは、世代を超えた長い年月が必要ですけど、一歩ずつですね。

 

先輩Iのコメント

●●さんの問いかけ、すごくいいですね。突き詰めると育児休業を取得する権利は、憲法で定めた「健康で文化的な最低限度の生活」として保障すべき権利か、という問い。これは、時代の変遷で変わっていくでしょう。昔は生活保護世帯には自家用車やクーラーの保有は認めていませんでした。高校進学も原則認めず、例外として高校進学が将来の就労、被保護世帯の自立につながるものとして認めていました。育児休業も、世間一般で誰でもが権利行使するようになった暁には、生活保護世帯でも認められる権利になると思います。ただ現段階では、我々公務員のように、▲▲(上記友人S)さんのおっしゃる「民主的正当性」を持ってしか存立しえない、いわば発展途上の権利(?)ですので、生活保護世帯にそれを認めることは、「パチンコ」や「飲酒」を認めること以上に、民主的正当性についての疑義が生じるかもしれませんね。ということで、私は③です。

 

先輩M

●●さん、まずはグループへようこそ!一度一緒にSIMをプレイしただけの間柄でしたが、FBで繋がらせていただき、時折の投稿内容を拝見していた中で、こちらのグループに誘ってはどうかと思い立ち、最近招待をさせていただいたところです(*^^*)そして話題提供もありがとうございます(^0^)/ やはり新しい風が入ると動きが出ていいですね(笑) 今回のようなハッキリした切り口でなくてもいいと思うんです、皆さん、これを機にまたいろいろ思い付いたところでワイワイお話ししていきましょうね。ちなみに今回のテーマで言うと、正直そこまで思いを巡らしたことがなく、逆に言えば、無意識のうちに③の立場を取っていたのではないか、とハッとさせられたところです『誰もが「いい(良い)加減」で大事なものを選び取れる社会』を理想に掲げていたはずなのに…(>д<) Aさんのコメントに大変共感しています!そう、それでも我々はできることを一歩一歩やっていくのであります!( ̄^ ̄)ゞ

 

続けて、自分のコメント。 


Iさんが、
>突き詰めると育児休業を取得する権利は、憲法で定めた「健康で文化的な最低限度の生活」として保障すべき権利か、という問い。
とまとめて下さいました。
これは、元ケースワーカーとして、もちろん意識していた問いです。

ただ、自分が投げかけたかったのはむしろ、育児休業を取得する権利を認める理由、理念、思想、理論は何なのかという問いでした。言い換えれば、「なぜ育休を取っていいのか」「なぜ仕事をしなくても許されるのか」という問いであり、生存権生活保護というよりは、育休を取った自分自身を顧みるための問いでした。

この問いについて、皆さんのコメントを読んだり、本を読んだり、妻と議論したりする中で、自分の中で少し考えがまとまりました。少し長いですが、自分がどう考えたのか書くことで、皆さんのコメントへの返答としたいと思います。

現時点でたどり着いた仮説は、現状では育児休業(残念ながら)「子どもを育てる権利」をではなく、単に雇用主に対して「退職しなくてもよい権利」を主張する為の制度でしかないということです。そして、それこそが生活保護受給者と自分たち職員との間で「育休」の可否に差がつく理由の一つなのだろうと考えています。

かつてはOLという働き方や、M字カーブが当たり前でした。結婚するまでは「お茶くみ」として働き、結婚したらやめる。(そして、家事育児がひと段落ついたあとは、非熟練のパートとして、夫の家計を補助的に支えることになる。)女性たちは、そういった「二流の労働者」としての働き方を余儀なくされ、働く権利を限定的にしか実現できない状況におかれた(もちろん現在進行形でもありますが)。

そんな彼女たちにとって、育児休業制度はあくまで「結婚して子供を産んだとしても、仕事をやめなくても済む権利」を実現するための制度として誕生し、そう受け入れられたのでしょう。一言で言えば「退職しなくてもよい権利」。働くことが当たり前になっている自分たちは忘れがちですが、働くことが「権利」だということから「育児休業」は出発したのだと思います
(世代によっては、こんなことは当たり前の事実で、取り立てて言うほどのことではないのかもしれませんが、「育児休業」が当たり前の制度になりつつある自分たちの世代にとってはあまり共有されていない気がします。このあたりは本を読むことで、気付いたことです)

一方、生活保護受給者は、働く権利があるのは勿論だとしても、強調されるのは働く「義務」。まずここでズレがある。そして、育休というのがあくまで雇用主に対して「退職しない権利」を主張するための制度だとすれば、その権利を雇用主ではない行政に主張されても、残念ながらお門違いということになってしまうのでしょう。

以上のように、生活保護受給者と賃労働者との間で「育休」に関して差異が生まれる理由を、自分なりに考えてみました。

ここで少し話題は変わりますが、育児休業が「退職しなくてもよい権利」の為の制度でしかないということは、男性の育児休業が進みにくい理由にもなっているのではないでしょうか。

不当に退職を余儀なくされていた女性たちにとっては、「退職しなくてもよい権利」は闘う武器になったのでしょう。一方、仕事を辞めることをはじめから想定されない男性は、「退職しなくてもよい権利」をもらったところで、あまりありがたみが無い。男性たちに必要なのはむしろ「子育てをする権利」だったり、「家庭の為に仕事を休む権利」を正面から認めるものなんだと思います。

こうしたことを踏まえて育児休業が「退職しなくてもよい権利」ではなく「子供を育てる権利」のための制度としてアップデートされればいいな、と私は考えています。

将来的に、育児休業が「子供を育てる権利」にアップデートされたとして、それが「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されるという生存権の枠内に収まるものなのかどうかは、また別の議論が必要になると思いますが・・・

現状③と回答いただいたみなさんが、法改正や制度変更も含めて、生活保護受給者の育休について<将来的にどうあるべきか>と問われたら、どのようにお考えになるのかも、気になりますね。

長文、乱文大変失礼いたしました。


ちなみに、参考にしたのはこの本です。
非常に面白いので、興味のある方は是非お読みください。

 

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働く女子の運命 *3

 

 

 それから、 ご覧になってる方も多いと思いますが、上記の自分の問題提起と繋がるように思えます。情報提供のためにリンクを貼っておきます。

www.facebook.com

 

▲▲(友人S)ののコメントも非常に興味深いと思います


非常に差別的な言い方に聞こえてしまうので注意が必要ですが、単に費用面だけで考えた場合、生活保護受給者の子どもを保育園に登園させるのはコスパが悪い気がします。
求職活動中で保育料や税金の徴収も期待できない生活保護受給者の子どもを保育園に入れて、ガンガン働いて保育料や税金を納めてくれるところの子どもが待機児童になるのは、財政的には損なのかも。

もちろん、金銭勘定だけで考えていい問題ではないので、あくまで一つの論点ですね。

 

友人Sのコメント

俺も、育児休業の制度の趣旨は「退職しない権利」だなと思ってた。
ただ、なぜ「退職しない権利」を主張する必要があったかまで考えると、●●も一部指摘したように、「新卒一括採用&終身雇用&年功序列型賃金」の雇用慣習のもとでは、いったん離職してしまうと、また正規雇用として採用されるのは相当に狭き門だから。
そういう理由で、正規雇用のまま「退職しない/復職する」権利を叫ぶ必要があった。(その理由だけじゃないかもしれんが)
「中途でも正規職員になれる/非正規でも一定の収入が保証されている/失業(子育て)期間でも、雇用保険等で十分に生活できる」社会の仕組みがあれば、子育てしたいときにいったん退職すればいいから、育児休暇という「企業福祉」(福祉と呼ぶかどうかも議論があると思うが)ではなくて、「社会福祉」として育児の権利が保障されるんだと思う。

つらつらと書いて思いついたけど、いくら「育児休業」を「子育てをする権利」にアップデートしても、企業の負担の中で行われる以上、「労働者としての権利」の枠組みから抜け出して、「人としての権利」に転換しないんじゃなかろうか、、、

*1:文春新書

*2:文春新書

*3:文春新書