幽霊犬の備忘録

某市の職員。政治学を齧りジェンダーや経済思想に関心。

LGBTからSOGIへ/バリアフリーからノーマライゼーション・ユニバーサルデザインへ

※追記

 この記事をベースに、新たに書き直した記事があります。

 そっちの方が、書きたいことを余すことなく書けていると思うので、よければお読みください。

 

ghost-dog.hatenablog.com

 ※追記終わり

 

1 LGBTとSOGI
SOGIという言葉について、とりあえずこれを読んでください。
コンパクトに要点をまとめた良い記事だと思います。
あと、手書きのイラストが分かりやすくて、かつ可愛らしい。

www.2chopo.com

 

(2/22 追記

上の記事、リンクが消えてるようです。残念。

代わりにこのあたりの記事が良さそう。

第28話 今年は「SOGI」が流行る? : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)

 

追記終わり)

 

 

SOGIという言葉は非常に重要です。
この言葉のおかげで「LGBTというフツウじゃない人/フツウの人」という暴力的な二分論を克服して「みんなが当事者」という見方が出来ます。

いわゆる「性的マイノリティ」と言われている人たちを変に特別視したり、アブノーマルで異質な人だとみなしたりして「特別扱い」するのは、本当はおかしなことです。
また、誰もがSOGIを尊重されるべきという考え方は、例えば「早く結婚しろ」とか「早く子供を産め」とか「女なのに特撮が好きなんて」とかみたいなことを言われてツラい思いをしている人、つまり「LGBTではないけど性について抑圧されている人」に寄り添うことも可能にしてくれると思います。
NHKドラマの『特撮ガガガ』は中々面白い!)

 

2 SOGIが生みかねない誤解
ただ「みんなが当事者」というのは諸刃でもあります。
それ自体は決して間違ってはいないのですが、「同じなのだから何の配慮や取組も要らない」という誤解を生みかねません。


「みんなが当事者」というのは「みんな一緒」ではないはずです。

例えば「カミングアウトが不要になる時代が来るべき」という意見があります。
「オレ、ショートヘアーの人が好きなんだー」、「へー、そうなんだー。」
「私は細マッチョくらいの人が好きなんだー」、「へー、そうなんだー。」
くらいな感じで、
「オレ、ゲイなんだー。」、「へー、そうなんだー。」
と話せるようになるのが本来望ましい、と。

 

この考え方は、ある意味間違ってはいません。
まきむぅさん自身も、将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに“レズビアンって何?”って言われること」と語っています。

 

ただ、あえて言えば、それは目の前の現実に対して、まだ理想論過ぎます。
現に、性的マイノリティの人たちは、リアルな問題として、差別を受け、生き辛さを感じています。例えば、同性婚の問題など、法的な問題もあります。同性愛者を差別、揶揄するような言動もあります。

 

つまり、「みんなSOGIの当事者」というのは大事なことで押さえておかないといけないものの、「LGBTの人たちへの差別を解消するための配慮や取組は必要」ということになります。

 

・・・さて、ここまで読んで、どう思います?
正直、ややこしいと思いませんか?
ややこしいと思った人、多分いると思うんですよね。

 

「特別扱いするな!」と言われ、かといって何もしないでいいかというとそうではなくて「配慮は必要」と言われる。なんというか、どっちつかずな感じ。

 

ある意味仕方がないんです。性的マイノリティの問題は、本当は歴史を抜きには語れません。長くなるのでここでは書きませんが、少なくとも、今は過渡期にあるということは言えると思います。

 

(歴史が気になる人には、例えばこの本などがオススメ)

 

 

3 ノーマライゼーションユニバーサルデザイン、そして合理的配慮
自分自身「ややこしい」と思って混乱していました。
ただ、あるとき次のことに気付いたんです。

 

LGBTという言葉では足りない点があり、SOGIという理念が登場。それでもLGBTの人たちへの差別を解消するための配慮や取組は必要。
・障害者福祉の分野では「バリアフリー」が「ノーマライゼーション」や「ユニバーサルデザイン」に発展。それでも「合理的配慮」の提供は必要。
この2つが似ている!

 

このことに気付いたとき、少し、この「ややこしい」状況に向き合うスタンスが分かった気がしました。

 

ノーマライゼーションユニバーサルデザインへの発展をSOGIと比較することで、性的マイノリティの「ややこしい」ところが少しでも解消して、理解が深まって欲しい。この記事を書くことにした意図は、まさにそこにあります。

 

バリアフリーと、ノーマライゼーションユニバーサルデザインの違いが何となく分かっているという方で、既に言わんとしていることは分かった、という人もいると思いますが、ピンと来ないという方もいるだろうと思いますので、少し詳しく買きます。

 

ノーマライゼーションについては、Wikipediaに以下のような説明があります。

ノーマライゼーションまたはノーマリゼーション(英語: normalization)とは、1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき、という考え方である。また、そこから発展して、障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方としても使われることがある。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。

 また、ユニバーサルデザインについては、Wikipediaに以下のような説明があります。

ユニバーサルデザイン(Universal Design/UD)とは、文化・言語・国籍や年齢・性別などの違い、障害の有無や能力差などを問わずに利用できることを目指した建築(設備)・製品・情報などの設計(デザイン)のことである。「できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザインにすること」が基本コンセプトである。デザイン対象を障害者に限定していない点が「バリアフリー」とは異なる。これは、バリアフリーが「障害者のための特別扱い」という新たな心理的障壁を生んでいると考えたロナルド・メイス自身の批判的態度が反映されたことによっている。

 以前は、バリアフリーという言葉が主流でしたが、最近は、このノーマライゼーションユニバーサルデザインという言葉を目にする機会が増えてきました。

 

バリアフリーからノーマライゼーションユニバーサルデザインへの転換(発展)は、上記にもあるように、障害者の「特別扱い」の問題を乗り越えようとしたものと言えると思います。「障害者」であったとしても、「自分たちとは全く違う異質な人」と変に特別扱いするべきではありません。また、例えば、公共施設のエレベーターは、身体障害者だけではなく、妊婦や高齢者、病人など、あらゆる人にとって必要なものですよね。

 

ただし、当然ですが、「特別扱い」をやめることは、障害者差別解消の為の配慮・取組が不要になることを意味しません。例えば、障害者差別解消法では、合理的配慮の提供が求められています。

障害者差別解消法(第7条第2項、第8条第2項)は、行政機関等及び事業者に対し、(略)社会的障壁の除去の実施について、必要かつ合理的な配慮を行うこと(合理的配慮の提供)を求めています。これは、障害者が受ける制限は、障害のみに起因するものではなく、社会における様々な障壁と相対することによって生ずるものとのいわゆる「社会モデル」の考え方を踏まえたものであり、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、障害者が個々の場面において必要としている社会的障壁を除去するための必要かつ合理的な取組であり、その実施に伴う負担が過重でないものです。

  厚生労働省HP「合理的配慮の提供等事例集」より引用

 

2点重要な点があります。
1つは「社会モデル」の考え方。
「障害」はその人(だけ)ではなく「社会」の側にあるという考え方。
同じように、「性」に関する様々な言説や制度は社会が形作ったものです。一例を挙げれば、「結婚」というものはまさに「社会」に生きる人間がつくった「制度」です。この点、SOGIの問題は障害者福祉分野における「社会モデル」との共通点が見出せます。

もう1つは「個々の場面において必要としている」とあるように個別具体性が重要だということ。障害者だけに限定しない、障害者を「特別扱い」しない、ということは、「みんな一緒」を意味しないのです。そうではなく、むしろ「みんなそれぞれ違う」ということが重要なのです。そのうえで、その人に必要な配慮は提供されるべきだし、差別を解消する取組も必要なのです。

 

現状では、LGBTの人たちは、そうではない人たちに比べて相対的に「社会的障壁」が多く、配慮や取組が必要になる場面が多いと思います。しかし、それは「全員がSOGIの当事者である」ということと何ら矛盾するものではありません。

 

4 まとめ
最後に簡単にまとめます。
LGBTの誤解(SOGIという言葉が必要な背景)
LGBTという「普通ではない」人/「普通」の人 という誤った捉え方がある。
「あの人たちは違う」=差別的な「特別扱い」につながる。
②SOGIの誤解
「みんな一緒」=同じなのだから何の配慮や取組も要らない。
③本来SOGIという言葉が目指すもの
「みんなそれぞれ違う」=ノーマライゼーションユニバーサルデザインという理念と合理的配慮の必要性が両立するように、「SOGI」の尊重という理念と「LGBT当事者」の為の差別解消の取組の必要性は両立する。
 

5 おまけ その1 (おまけだけど重要)
・性的マイノリティの差別の問題を考えるために、障害者福祉の分野の考え方を拝借しました。ただし、同性愛は病気でも障害でもありませんので、そこは間違えないようにしてください。

現在では、WHO(世界保健機関)や米国精神医学会、日本精神神経学会などが同性愛を「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から除外しています。 

Q. 同性愛者は病気なのではないですか?- So homosexuality is not a disease? | EMA日本 より引用

 

なお、当然ですが、仮に同性愛が病気や障害であったとしても、病気や障害であることを理由に差別していいことにはなりません。

 

性同一性障害が障害、病気なのか、という点は、非常にデリケートで難しい問題です。
これについては、自分もまだ勉強中だし、「当事者」の方たちも模索しているところだし、社会における捉え方もまだ変化の途中です。
考える参考として、2つの記事を紹介します。

 

wezz-y.com

wezz-y.com

 


6 おまけ その2 (おまけだけど重要)
トランスジェンダー」という言葉を名詞として使うと「自分とは違う、異質な人」という乱暴な「カテゴライズ」になってしまうので、名詞ではなくて形容詞として使おう、という動きがあるそうです(まきむぅさんの本で知りました)。
上記で述べてきた「自分たち/トランスジェンダー」という二分論から「みんな違う(それぞれ配慮が必要)」への転換ですね。
この点について、自分にも反省すべき点があることに最近気づきました。
それは、精神疾患の方を「セイシン」と呼ぶ習慣です。
同僚がこう言う場面を少なからず目にしてきましたし、それに倣って自分自身も最近までそのように呼んでいました。この言葉の背景には、「自分たち/セイシン」という境界を引き、彼らを「自分たちとは全く異質の存在」と捉える無意識の考え方があったように思います。細かいことですが、今は、「精神疾患の方」等と呼ぶように気を付けているつもりです。「セイシン」という呼び方をしていた方、これを機に、言葉遣いを変えてみてはいかがでしょうか?

 

7 おまけ その3
 上で引用したまきむぅさんの記事を探そうと思ってググっていると、このマサキチトセさんという人が、まさに自分と全く同じ問題意識を持った記事を結構前に書いているのを見つけて、ちょっとビックリしました。

 前半はSOGIの説明で、さっきのまきむぅさんの記事と似たような趣旨なんですが、後半の「批判力の無いSOGI概念」というところが、自分の問題意識とバッチリ同じでした。是非読んで下さい。強く賛同します。

ja.gimmeaqueereye.org

 

少し長いですが、最後の部分を引用します。

このまま「LGBTの代わりにSOGI」という安易な言葉の入れ替えが起きてしまって、SOGI概念を使う意義としてのノーマティビティへの批判という側面を私たちが忘れてしまったら、どうなるか。

そこに残るのは、「みんな多様だよね」という、それ自体は確かに事実だけれど、そんなこと言ってても何も解決しないという事態でしょう。さらにそこには、差別を受けてきた歴史やそれによって皮肉にも生まれてしまった豊かな文化の記憶は、受け継がれないでしょう。

「みんな多様、LもGもBもTも異性愛者もシスジェンダーもみんな色々あるよね、みんな当事者、みんな今のままでいい、個性だもん、社会なんて関係ない、互いに個人的に寛容になって、それぞれハッピーに生きよう!」

そんな風に、批判の力を失ったSOGI概念は、いとも簡単に社会の問題を「個人の問題」に矮小化し、差別の構造や仕組みを温存する方向に行ってしまう気がします。

 それから、自分はLGBTの人たちが「社会的障壁」に苦しんでいるというイメージで上では書きましたが、マサキさんが書いている通り、むしろ、「普通」とされている人たち(異性愛者、シスジェンダー)が優遇されているという理解が正確だと言えると思います。


※追記

この記事へのコメントを受け、新たに記事を書いています。

よければご覧ください。

 

ghost-dog.hatenablog.com

 ※追記終わり